特攻によって与えた損害は、さほど大きくなかったというデータも見かけたりします。
しかし、彼らの与えた精神的ダメージは、計り知れないものがありました。
「crazy!」
米兵たちが恐れおののいたように、自らが爆弾の操縦者となった彼らは狂っていました。
それは、大君のためとか、祖国を守るなどという大義名分ではなく、生まれ育った故郷を守るため、父母兄弟を守るため、許嫁を守るため、妻子を守るために、彼らは正気を保ったまま、狂気の沙汰を実行したのです。
大局で見れば、大東亜戦争は日本の独立を死守するためのものでした。戦わざるを得なかったのです。

戦争はよくないことです。彼らとて、当然生きたかったはずですから。
それゆえに特攻を美化してはいけないという風潮があります。僕もそれに反対はしません。
けれど、よく考えてみれば特攻で生き残った方たちの言葉は聞けるけれど、死んでいった人たちの言葉は誰も聞けません。
彼らは、それぞれのやり方で運命を飲み込み、散っていったに違いありません。
それぞれの思いや、それぞれの覚悟の決め方はあったでしょう。
出撃前夜、「かあちゃん、かあちゃん」と叫びながら、木立を軍刀で切り付ける若者がいました。
ただじっと目を閉じて口を開かぬ若者もいました。
彼らは出撃前の水杯と共に、何を飲み干したのでしょう。
すべては想像の中ですが、僕たちができるのは感謝だけであることは、確かです。
沖縄へ向かう特攻機の中から、若者たちが見た最後の本土は、九州最南端、薩摩富士と呼ばれる開聞岳でした。
開聞岳は今、何を思うのだろう。

もう少し時間がほしいテーマでした。
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