いらなくなった紙を丸めて投げ与えたりしたら、狂喜乱舞します。ヾ(▽⌒*)ウキャキャ(「ФДФ)「
夏によく茂るイネ科の「狗尾草」は、異名のとおり格好の遊び道具になります。
「狗尾草」
さて、なんと読むでしょう。
チッ・チッ・チッ・チッ……【┘】
(。•́︿•̀。)ザンネン!!
狗は犬のことで、犬の尻尾の草で「エノコログサ」と読みます。広場の隅っこや道端で風に花穂を揺らすさまは、ひととき、額の汗を忘れさせてくれる夏の風物詩です。
エノコロは「犬っころ」が転じたものといわれます。

では、この草の異名はなんでしょう?
チッ・チッ・チッ・チッ……【┘】
はい、ご名答! 猫じゃらしです。
茎の部分を上にして、そっと握って弛めて、握って弛めてを繰り返すと、あら不思議、にょきっにょきっと姿を現すのです。穂先を上にしてやると手の中にもぐっていきます。
お子さんやお孫さんに見せてあげたらどうでしょう。株が爆上がりすること請け合いです。ただし、思春期でツンツンしている娘さんにやったら、自爆すること間違いなしです。
子どものころ、半ズボンのすそに穂先を下にしたエノコログサを入れて歩くと、勝手にずんずんとズボンの中に入っていって、得も言われぬオトナな感触に身をよじらせたものです。

なぜここで猫じゃらしなのかというと、狩猟本能を持つ男のたとえとして、猫のことを書こうとしていたからです。しかし、犬の尻尾で遊ぶ猫とは、いとおかし。
昨年の夏ごろから『news 23』のエンディング曲で流れています。とてもいい歌です。↓↓
「上白石萌音-夕陽に溶け出して」
作詞:作曲 小林武史
賑わっている街で ぼんやり空を見上げる
遠くで傷む心 毎日ニュースが告げてる
真実ってわからない 他人も上手に庇えない
無数にある正しさ だけど答えはきっと
自分の中に吹く風だよ
明日がもしも 晴れるなら
空を見上げて歩きたい
いつもの道も違ってる
自分の眼で見つけていくよ
光と影が 織りなしてる世界
感性のボリュームを上げて

始末に負えない狩猟猫のような男に対して、女は恋愛に「安定を求める」生き物です。安心して子供を産み育てられる環境を欲します。
そんな男女に、時として揉め事がおこります。明らかな悪役がいたらわかりやすいのですが、判定のつけがたい場面もしばしばあります。
なぜ判定しがたいのか。それは、男女の間には埋めがたい性差があるからです。そこに生じた行き違いである以上、なかなかに手に負えない事態といえるでしょう。
それこそが、「本能」に操られた、男女の違いで生じたものだからです。
だからといって、平らかにする必要はありません。
「必要があってそうなった」はずで、そこを無理になくそうとしたり、差を埋めようとするのは、それこそ付け焼刃ではないか、と僕は思っています。
いつのころからか、女性の役者さんを「女優」ではなく「俳優」と表現するのが当たり前になってしまいました。違和感を覚えます。
その昔、役者は男だけだったので「俳優」。そこに女の役者さんが登場して「女優」という言葉が生まれた。明治のころだったか、そんな経緯だったと記憶しています。

第46回アカデミー賞「主演女優賞・岸井ゆきの」
名前が明記されていれば理解できますが、「俳優」と書かれているだけでは、男か女かわかりません。それは無理筋だと思うのです。このまま突き進むと「主演女優賞」や「主演男優賞」もなくなっていくのかもしれません。
アクターとアクトレスは違いを表しているだけです。
そうやって騙しだまし、いわゆる「やってます感」で納得させられていったら、肝心なものを見失うような気がします。
必要なのは、お役所仕事よろしく「形」を整えることではなく、「違いを理解する」ことです。
時間が解決するもの、ときが笑い話に変える事ども。そんなことって案外多いのではないでしょうか。
さて、そんな「異種の生き物」がひとつ屋根の下で生活するのです。日々の暮らしの中で、さまざまな軋轢や齟齬(そご)が生じるのは当然のことです。

年々フォルダを増やしてごちゃごちゃになる男と、クリックひとつで上書きをしながら生きていく女。収集したがる男と、捨てたがる女。
もちろん、個体差の違いはあります。ひとりの人間の中でも「本能」と「理性」の葛藤も生じます。しかし、男女それぞれが持って生まれた本能は、ゆるがせにできない部分ではないでしょうか。
先に取り上げたトーマス・フラーの言葉をもうひとつ。
「他人を許すことのできない人は、自分自身が渡らなければならない橋を壊しているようなものである。人は誰でも許されなければならないからだ」
「愛は4年で終わる③」
ここでいったん筆をおきます。
では、また。
─To be continued.─