僕が小学生の頃、こんなことがあった。
きっと校庭の木を描いたのだと思うけれど、木々の葉の間に少しづつ少しづつ見える青空を薄い青系の水彩絵の具でちまちまと塗っていた。

なぜそこが校庭ではなく教室だったのかは覚えていない。
すると、無心に筆を動かす僕の右後ろに嫌な圧迫感を感じる。
誰かが僕の絵を覗き込んでいるに違いないけど、担任の先生は前にいる。
醸し出すこの存在感は、同級生ではありえない。
だ、誰だ……。
グイグイと押してくるような、あまりにも嫌な気配なので、意を決した僕は右後ろを見上げた。
そこに腰をかがめるようにしていたのは体育の先生だった。
すると先生は、やおら僕の筆を奪って、ガシガシと枝葉の一面を塗り始めたのだ。
どう考えても空の色から塗るべきだが、幼い僕は、色を変え、濃淡を変え、こまごまと葉から色を塗ったようだ。
絵心など欠片もなさそうな筋肉馬鹿は言った。
「直る直る」
時間を掛けた僕の苦心作の葉っぱの色は、乾いても元に戻ることはなかった。
僕は、怒るというより呆気にとられていた。
それからしばらくの間、僕のクラスの合言葉は、直る直る、だった。
こんなこともあった。
雨上がりの校庭の好きな場所で写生だ。
でも、雨上がりの濡れた地面の色がどうにも出ない。
絵具を混ぜ合わせてこねくり回して違う画用紙に塗り、悩みに悩んだ僕は、濡れた土を人差し指ですくって塗った。
「これだ!」
天才だったのか単なる馬鹿だったのか、乾いたら指ではじくと粉と飛んで、薄ッす~い色になり、思惑は見事に外れた。
さらにこんなこともあった。
僕の絵が、NHKのなんちゃらコンクールで賞を取った。
でも、先生が勝手に出したので僕のどの絵がそれだったのか、いまだに知らない。
話は本題に入る。
高塚省吾(たかつか せいご)という絵描きさんがいた。僕はこの人の描く裸婦画が大好きだ。

「遠雷」
高塚 省吾(たかつか せいご、1930年7月26日 - 2007年5月28日)は、日本の洋画家。美人画・裸婦で絶大な人気を誇った。
岡山市出身、東京芸術大学で梅原龍三郎、林武、硲伊之助に師事、1953年卒業。
同年、恩師で日本美術会の委員長を務めた硲伊之助の影響から、第7回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)に出品。
以後、第11回まで出品。新東宝撮影所美術課に勤務のかたわら「8人の会」を結成、個展を開くなどしたが作品に恵まれず、1955年には谷桃子バレエ団の美術担当となり台本も書く。
1956年NHK広報室嘱託となり、1968年まで勤める。1957年より小津安二郎監督映画のタイトルを担当するなど多方面に活躍。
禅の修行により自らの作風を見つめなおし、1970年代初めには、春陽堂版江戸川乱歩全集の表紙絵を手がけ、1978年にはジャパン・エンバ美術賞入選。
1979年曹洞宗で受戒。1980年『高塚省吾素描集 おんな』を出版、裸婦美人画家としての名声を確立、その絵はカレンダーやポストカードとなり画集は広く親しまれた。
─Wikipediaより─

「コーヒー」

「絹のスカーフ」

「穏やかな反射」

「夢続き」

「朝のトルソ」
高塚省吾は恐れず輪郭線を描く画家だった。
そこも好きなところのひとつだし、顔も好きだし、おっぱいも程よくて好きだ。
一言でまとめるなら、とてもリアルでとても透明で美しい。
直る直る。
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