そう、バッグに残されていたノート。
昨日の公園で、思い出したことのひとつだ。
借りた用途は忘れてしまったけれど、持ち主は僕の次兄だった。
そのバッグのポケットにノートがあったのだ。
なんだろう? そう思って広げたら文章が書いてある。日記だったら読んだらまずいと思って閉じようとしたけど、どうもそうではない。
何行か読んでみて僕は思った。これって小説じゃないのかって。
内容なんて覚えていないけど、難解だったのは記憶にある。
小説を書いているなんて聞いたこともない。違う人のかな?
いや、この癖のある字は兄のものだろう。
小説を書くなんて、なんて似合わないことを……。
僕と兄は顔が似ていたけれど、僕の中の兄貴像は酒飲みで強引で暴れん坊。
昨年だったか、次姉が言っていた。小説を読まされたけど、難しくて全然わからなかったと。
僕が読んだものと同じものかどうかはわからない。
それを読んだのは僕がまだ二十歳そこそこだったから、兄だってまだ20代の中頃の話だ。むつかしい言い回しに憧れたとしてもおかしくはない。
その頃の僕はといえば、あらゆる漫画と、あらゆる週刊誌を片っ端から読んでいた。
それはたぶん、10年ぐらい続いたのではないだろうか。だから僕の20代は漫画と週刊誌に明け暮れていた。
それを本に引き戻してくれたのは、小説の虫の前妻だったろうか。ぼくの書いたものに対する彼女の批評が聞きたい。無性にそう思ったりする。
話がそれた。昨日のブログに長兄が寝そべって小説を読んでいたと書いた。何冊か持ってきていたのだろう、もうずっと小説を読んでいた。
僕はそんなこと思いつきもしなかったのに。
これは、血なのだろうか。
また話がそれている。むつかしい言い回しはかっこいい。そうかもしれない。
これは年齢のせいもあるのかもしれないけれど、僕は平易で読みやすい文章を心掛けている。突っかからずに読める文章。
だからといって、そればかり追求すると、さらさら読めて印象に残らない。
そこでフックが必要になる。フックという言葉を読んだのはずいぶん昔のことだから、うまく説明できないけれど、読み手を引き付ける一行というか、読もうかとさせるものだと理解している。
これがなかなかむつかしい。
フックといえば、歌の歌詞など最たるものではないだろうか。
青いとばりが道の果てに続いてる
悲しい夜は私をとなりに乗せて
街の灯りは遠くなびくほうき星
何もいわずに 私のそばにいて
埠頭を渡る 風を見たのは
いつか二人がただの友達だった日ね
今のあなたは ひとり傷つき
忘れた景色 探しにここへ来たの
歌だから素敵だ。けれどこれが文章だったら手直しをしなければ読めたものではない。
歌詞と文章というのは全く違ったものなのだとわかる。
だからこそ、作詞と作曲をする才能ってすごいんだなって思う。
何を書こうとしているのか、どんどんわからなくなっている。
僕の文章の書き方としては、最後にすとんと落とすか余韻を残せれば最高かな。
どっこいしょッ、と、曇り空の広がる公園のベンチから腰を上げた僕は、自転車を押しながらハルジオンを探した。けれど、咲いているのはヒメジョオンだけだった。
ヒメジョオンだ、う~ん、ヒメジョオンだ、とつぶやきながら。
そんなことをしていたら、BOOKOFFに寄るのを忘れてスーパーに入ってしまった。
あぁあぁ~BOOKOFF忘れちゃったよ。なんてしょげていたら、醤油を買うのを忘れて、味気のない厚揚げを食べてしまった。
座ろうとしてアイスを落としてしまう子供みたいだ。
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