文庫本を閉じてポケットに伸ばしかけた手を僕は止めた。ふと見た近くのベンチの若いお父さんが、赤ちゃんを抱いていたから。
煙草をあきらめた僕は、遠く咲くヒメジョオンを見た。
そしてふいに、思い出した。
突如音を鳴らし地面をはねる霰(あられ)を。
あ、あッ! 生まれて初めてぐらいの感動に襲われてお茶碗を取りに家に入った幼い日を。
無情にも、霰(あられ)はお茶碗の中ではねて外に飛び出した。
生まれ育ったところに、霙(みぞれ)とか、雪とか、冬にまつわる思い出はない。
そもそも、降らないのだから。
それから連鎖的に思い出した。
母を送り、帰京する日の朝を。
リビングの向こうの竹林が強風を教えた。
これ、飛行機飛ぶかな。それぐらいの風だった。
やがて風は雪を呼んだ。あられで驚くぐらいだから、僕の郷里で雪が降るなんて、ない。
「雪だよ!」
僕は長兄に呼び掛けた。
うん、とかいった長兄は寝そべったまま小説を読み続けていた。
折れるかのように傾ぐ竹と、吹雪のように舞う雪を僕は凝視した。それは、行くなと引き留めているように見えたから。
口を引き結び、眉をひん曲げて、ひと呼吸二呼吸した僕は、「かあちゃん帰るよ」とつぶやいた。
ゆるすということを、ぼくたちはきっと学んでいる。
何もかもをゆるして、意見など口にしなかったのが母親だったことを、僕は忘れていないから。
僕はまだまだ不十分で恥ずかしいけれど、あなたに褒めてもらえれば、100歳になったって、僕はたぶん上機嫌です。
日本中の母に伝えたい。
悩んでも迷っても、たとえ己を見失いそうになっても、あなたは偉大な存在なのだと。
みずいろの雨 / 八神純子
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