中田久美、二人目の全日本監督に。
え、一人目って誰だっけ?
とそのとき、生沼スミエとアナウンサーが口にした。
なんて懐かしい名前なんだ。当時の女子バレーボール選手の中で唯一の美人だったような気がする。
それに比べれば、今の女子バレーボールは美的レベルも上がっている。
顔も忘れてしまったけど、生沼スミエを調べてみた。
1946年10月8日生まれの東京都出身。
1960-70年代初期に活躍した名セッター。68年メキシコシティオリンピック、72年ミュンヘンオリンピックで銀メダル。1982年のアジア大会では全日本女子の監督も務めた。
全日本監督の経歴はこの一回のみで、いわゆるツナギの監督だったようだ。
生沼スミエ
写真が見つからない。この写真、ちょっと疲れたお姉さんという感じがするな。
中学三年生から代表入りをして、天才セッターの名を欲しいままにした中田久美全日本監督は、生沼スミエに指導を受けたことがあるようだ。
「久美くらいになったら、ストレートで相手がブロックアウトしかできないトスを上げちゃえばいいんだよ」
○ストレートとは、コートに対してまっすぐに打つスパイク。対角線に打つのはクロス。
中田監督は「やるべきプレーは教えられたが、どういう場面で使うかまでは教えてくれなかった」と語っている。
なるほど、タイムアウトのときも、指示らしい指示を飛ばさない中田監督の姿が印象的だった。
指示待ち人間が集まっても事態は打開できない。自分で考えなさい。
これは個人的な話になるけれど、僕の考え方と全く同じだ。
指示を出して人を動かす。それが指導者の役割だと思っている人は案外多い。
それを繰り返すと、自分で考えない、いざという時役に立たない人たちの集まりになってしまう。
中田監督の今後に期待したい。
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