長きにわたった母の入退院の繰り返しは、やがてピリオドを迎えることになる。
退院してきた母を僕は自宅で迎えたのだろう。僕の隣に正座して、母は言った。
「○○(僕の名前)はかわいそうだったねえ。もうどこにも行かないからね。ずっと○○のそばにいるからね」
僕はその言葉を、母を見ることなく、爪をいじりながら、うん、うん、と小さく頷きながら受け止めた。
感情を爆発させることのない子供になったのは、今日こそは、母がいなくなってしまうのでは、という恐れを抱いて、台所にいるその背中を何度も何度も振り返っていた幼い頃の影響が大きいのかもしれない。
どうにもできないことがこの身に降りかかる。それは、自分の要望や、要求や、我が儘では覆らない。
僕はこれを幾度も経験した。
大人の時間感覚で行くと、乳飲み子に毛が生えたぐらいの僕と離れているのは、母とて辛いことだっただろう。
後年気がつくことになった母の台詞の意味は、生まれつきではなく、後天的に足が不自由になっていった原因不明の病状を、現代医学では癒しようがない、という宣告を受けたことに他ならないということだった。
そのときの話であったかどうかは定かではないけれど、母はもうひとつの知らせをもたらした。

「○○さんも、死んじゃったんだよ」
それは、柔らかな笑みを浮かべる、あのお姉さんのことだった。
僕がどんな反応をしたのかなんて、憶えてはいない。
けれど、悲しんだ記憶もない。
それは仕方のないことかもしれない。死というものを飲み下せる年齢ではなかったはずだから。
僕が理解したのは、あの眩い光の差す病室から、お姉さんがいなくなったということだけだったに違いない。
僕の書く小説のほとんどに死がつきまとうのは、この辺りに原因があるのだろうか。
愛読書「神との対話」から、突如、未読で未知だった「ホ・オポノポノ」へと繋がる中で、インナーチャイルドを癒すというキーワードにぶつかった。
そんな中で、水底からポカリと湧いた泡が、水面に向かうように、突如湧いてきたのが、完全に忘れていたこの記憶だった。
「I'm sorry」
「Please forgive me」
「I love you」
「Thank you」
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