「新約聖書物語 洗礼者ヨハネ」 君に贈る神話⑩ | 風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」

死海の荒野に面した沿岸クムランの地に、ひとつの集団が住んでいました。エルサレム宮殿の権威を否定し、神殿を持たずとも神に仕えることができると信じていた、ユダヤ教のエッセネ派でした。
彼らは俗世間から逃れ、神の神殿は石ではなく、神に忠実な者たちによって築かれているとする清廉で敬虔な人たちでした。あらゆる贅沢や不浄を避け、トーラーと呼ばれる旧約聖書の最初の五つの書、モーセの五書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)を学び、その細部まで守ろうとしました。
エッセネ派の共同体に入るには厳しい掟に従い、もてる財産もすべて教団の物になりました。貧しい者も富める者も平等に扱われたのです。
その規模は数千人と言われ、肉体の死後も魂は生きると信じ、魂を清らかに保とうとしました。
彼らは救世主の到来を待ち望んでいました。

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ユダヤ属州(現代のパレスチナとイスラエルにあたる地区)のローマ総督ポンティオ・ピラトは非道な政治を行い、ユダヤ人を簡単に処刑する残忍な人物でした。ローマによるパレスチナ支配が本格的に始まって一世紀近くが過ぎていた頃です。
ローマの傀儡政権であったヘロデ大王亡き後、その後継者であった息子たちもまた愚かであり、ピトラと何ら変わりはありませんでした。
彼らは偶像を礼拝し、ユダヤの民を重い税で苦しめ、自分たちは贅沢な宮殿を建てました。彼らは無能でありユダヤ人社会は乱れていました。

ユダヤの人々は、もはや伝統的な神官や律法学者に救いは求めませんでした。新たなる預言者やメシアの出現を切望していました。ローマを嫌い、神と交わした自分たちの神聖な契約が回復することを願い、神の国のしるしを見たいと願いました。
この地には、ユダヤの歴史を通して存在しているメシア願望が強く渦巻いていました。そんな社会背景の中で、この人物が登場しました。

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ユダヤの荒れ野に、地を震わすような大音響が響き渡ります。
岩の上に立つその声の主は、ボサボサの髪に髭をたくわえ、ラクダの毛衣をまとい、腰に革の帯を締めています。

「悔い改めよ、天の国は近い!」
その叫び声にエッセネ派の人たちは喜びに打ち震えました。男は祭司ザカリアの子であり、母エリザベトはアロン家の人でした。さらに預言者イザヤはこう言ったはずです。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」と。
予言者たちが口にした終わりの時が、神の審判の時が、ついに近づいたのです。

男はヨルダン川西岸の荒れ野に暮らし、いなごと野蜜を食べ物とし、大地に眠りました。その説くところは〝正義〟と〝律法の厳守〟と〝神〟への信仰でした。
モーセ以後、最大の預言者エリヤの再来を思わせる姿をした男の噂は、エルサレム中に流れました。
大勢の人々がその男の話を聞き、その手で洗礼を受けるために出かけました。男は火を吐くような激しい言葉で人倫の道を外れて生きている人に回心を迫り、終末と悔い改めと天の国の到来を説きます。
やがて、エルサレムのみならずユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々が、自分の罪を告白して洗礼を受けるために男の元を訪れます。

エルサレムの近郊ベタニアの地において、死海に注ぐヨルダン川の水で人々に洗礼を施していたこの男こそ、洗礼者ヨハネでした。

ファリサイ派やサドカイ派の人々も洗礼を受けようと大勢でやって来ます。大司祭を中心とした伝統的な派閥であるサドカイ派も、司祭やレビ人(びと)を中心としないファリサイ派もヨハネは厳しく糾弾します。

「蝮(まむし)の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」

群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねました。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えました。

洗礼を受けにやってきた徴税人も尋ねます。「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」
ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言いました。
兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねます。
ヨハネは、「人を脅かしたり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言いました。

ヨハネはヨルダン川に向かって下っていきます。群衆も彼の後についていきます。腰まで水に入ったヨハネが群衆の一人の首元をつかみヨルダン川に身体ごと浸けます。ヨハネの行う洗礼は、〝犯した罪の赦しを得るためではなく、すでに清められていることを神に示す〟ための肉体の洗礼でした。

洗礼者ヨハネを慕う群衆はますます増えていきます。やがて信者として留まる者も多くなり、ヨハネ教団と呼ばれるほどの集まりになりました。
彼らはメシアを待ち望んでいました。そして、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていました。

ヨハネは群衆に向かって言います。
「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われれる」