逝きし世の面影 1 | 意識が世界を創っている

意識が世界を創っている

心と身体のつながりを日々研究中
面白いことをみつけたら不定期でつぶやいています

 

ある本に出会いました。

かつての日本の在りようを

当時来日していた異邦人たちの目を通して

「知る」

そんな本です

 

読んでいくと確かに私たちの中に

今もあると随所に感じられる

「あるもの」

 

それは一見、「失われた」「今はもう消滅している」

と表されるものかもしれませんが

そんなことはないと思うのです

 

こと量子場調整を深く学んでいくに従って

その思いはますます確信へと繋がっていきました

 

しかし当時は誰もが享受していたであろう

日本の豊かさ(肉体にみならず世の中全ての物理・気・オーラにおいて)が

一時は人心の前から完全にその姿を消すことになると

いち早く気付いて危惧したのは、誰あろう異邦人たちでした。

以下、本文より抜粋します

日本近代が前代の文明の滅亡の上にうち立てられたのだという事実を

鋭く自覚していたのは、むしろ同時代の異邦人たちである。チェンバレンは1873(明治6)年に来日し、1911(明治44)年に最終的に日本を去った人だが、1905年に書いた『日本事物誌』第5版のための「序論」の中で、次のように述べている。「著者は繰り返し言いたい。古い日本は死んで去ってしまった、そしてその代わりに若い日本の世の中になったと」。これはたんに、時代は移ったとか、日本は変わったとかいう意味ではない。彼はひとつの文明が死んだと言っているのだ。だからこそ彼は自著『日本事物誌』のことを、古き日本の「墓碑銘」と呼んだのである。「古い日本は死んだのである。亡骸を処理する作法はただ一つ、それを埋葬することである・・(以下略)」

 

チェンバレンよりはるかに以前、幕末開国期に

来日していたハリスは1856(安政3)年、

『この帝国におけるこれまでで最初の領事旗』

を掲げたその日の日記に

厳粛な反省ーー変化の前兆ーー疑いもなく新しい時代が始まる

あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか」と記しました。

またヒュースケンは有能な通訳として「ハリスに形影のごとく付き従った」

人物ですが滞在1年以上も過ぎたある日の日記に

今や私が愛しさを覚え始めている国よ・・」と語りかけています

「中略・・この幸福な情景が今や終わりを迎えようとしており、西洋の人々が

彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない」と。

 

彼らをそれほどまでに魅了したその頃の

日本の風土、人々の気質、文化とその在りよう

そしてそれがどのように失われて

 

私はなぜそれを個人的に

「復活しつつある」と思っているのか

 

この本からしばし読み取っていきます。