受け入れる | 意識が世界を創っている

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心と身体のつながりを日々研究中
面白いことをみつけたら不定期でつぶやいています

 

昨日、突然やってきたある感覚

「私はもう少し苦難を経験するんだ」

下線部分はね、私の自我の脚色です。だってやっぱ嫌だから真顔

こういう感覚って時々ありますよね

人は誰しもそういう感覚を知っています

いいことも悪いことも

あ、なんか・・・来るんだ笑い泣き)みたいな

それを感じ取るか無視して生きていくか

どちらを選択したってそんなに変わるわけではない

 

量子が持っている情報なので仕方ないっす

未来のこともわかるの? 

はい、時間も超越していますからね

「いや、現在・過去・未来は人間が便宜上ですね・・・」

と言いたいところをぐっとこらえて別機会に

 

でも、逃れようもないものならそれを甘んじて

むしろそれとともに在るのも

しょうがない・・・私自身が経験して味わうしかない

 

そこで思い出した話がありました

昔、わたしは沖縄の離島に数年間滞在していました。

そこで島の長老から沖縄戦について聞かせてもらって

印象に残った話の中のひとつ。

 

戦争も末期になって大本営が本土決戦もやむなし!

となった頃、

当然のように沖縄全島はもれなく日本軍の管理下に置かれ

離島にもそれぞれ日本軍が駐留したそうです

(あくまで住民を守るという大義名分、でも実際は・・

という話は枚挙にいとまがないのですがこれも別機会に)

 

そんな中、日本軍の駐留をあくまで拒否した離島が

幾つかあったそうです。

「米軍が攻めてくるぞ」

この「攻めてくる」に対して反応としては「守らなきゃ」

が普通の反応だと思いますが

そこをあえて武器をもって守りを固めることをしない選択

 

結局、その離島は米軍からの攻撃を受けることなく終戦を迎えたのです

崩すべき守りをしていないから

米軍はそこを攻撃する必要はなかったわけです

住民は普段通り畑にも出て

日々の暮らしを続けていたそうです

 

古来、沖縄の人々には”戦う”という感覚が

なかったというのが

その話を教えてくれた長老の見解

 

「首里城を見てごらん、あれは戦(いくさ)のためのお城ではない

島外からやってくる客をもてなすためのお城なのだ」と。

 

中国や日本から長い間重税を課せられたり

無理難題を押し付けられても

そこを受け入れて繁栄してきた文化なのだと。

 

争って(あらがって)跳ね返すのではなく

受け入れて相手のパワーをも自分の体力としてしまう

というたくましさをそこにみたような気がしました

 

「なんでも受け入れりゃいいってもんでもないでしょっ」

というのも解りますが

そこもあえて飲み込んで受け入れてみる

 

そうするとトラウマ(傷)も明らかに変化するのです

 

だから私もこれからやってくるクエストと

戦うんじゃなくて受け入れて

それさえも私の体力にしていこうかと・・・チーン

 

そういう「覚悟」のお話でした

 

まとまりましたか?まとまりませんか?そうですかぬん06