「大気の状態が不安定」というセンテンスが
連日聞こえてきます。
私たち人間は無意識的に「天気なんてコントロールできない」
と思っている方が大半でしょうか
私は密かに「ある程度の天気はコントロール可能だ」と思っています。
実生活で使ってもいますしね。
数年前私は偶然、あるブロガーを知りました。
文章が緻密に構成されていて
この世の真理に通ずる着眼点と丁寧な考察、解説
が大好きでした。
今でも彼の文章は全て保存して何度も読み返しています
その中でも私が大好きなエピソードの一つ
『「1秒間に18回」までの世界』
そのブロガーが高校生の時に、
ヤーコプ・フォン・ユクスキュルという
ドイツの生物学者で哲学者が書いた本に
とても感銘を受け、中でも印象に残った内容として
紹介していたものです。
以下、そのブロガーの一文をお借りしました。
カタツムリを棒でつつくと、どういう行動をとるか?――
当然、カタツムリは棒をよけようとしますよね。
ヒュッと殻の中に入ったり、
「何すんだよ、じゃまだなー」って感じで、体を曲げて違う方向に進んでいったりと。
では――、1秒間に4回以上の速さで、小刻みに棒でつつくとどうなるか?
何とカタツムリは、棒をよけずに、その棒にはいあがってこようとするそうだ…。
どうしてそうなるのかと言うと、カタツムリの感覚では、「1秒間に4回」よりも速いスピードは知覚できないためだ。
なので、それ以上の速さで振動する物体を、「静止した物体」として認識してしまうのだという。
カタツムリにとってその棒は、見た目にも触れた感覚でも、疑いなく「まったく動かない硬い棒」にしか思えないのでしょう。
そして、誰かが意図的につついているのではなく、自然にただ静かに存在する一部となってしまうわけだ…。
◇
ユクスキュルによると、同じように人間の感覚の場合は「1秒間に18回」だそうで、それ以上に高速に振動するものを私たちは「静止している」と認識してしまう。
例えばだけど、扇風機の羽根とかもそうでしょうね。
もちろん現代人ならば、一見して羽根が回っていると常識的に分かる。
でも、扇風機というものを一度も見たことのないアマゾン奥地の原住民に、高速で回転する羽根を指でちょっと触れさせてみたならば(危ないけど)――、
きっと、「これは硬い半透明の円盤で、さわると指がジーンとする」というふうに思うことだろう。
また映画のコマは1秒間に24回だけど、それも私たちが「1秒間に18回よりも速い瞬間は認識できない」からこそ、ああしてスムーズに動く映像として目に映るわけですね。
で――、この世界のあらゆる物体は、「分子の振動」によってできている。
その物体が、いかに確たる形をした硬いモノであっても、それは中身がスカスカな「振動」の集まりにすぎない。
このことは、よく言われながらも、日常感覚ではまったく実感を伴わないことだ。
それは当たり前のことで、分子の振動周期というのは1秒間に百万回~1千万回である。目にも止まらない、という表現すら当てはまらないレベルの、すさまじいスピードである。
一方で人間は「1秒間に18回」までしか認識できないのだから、とても太刀打ちできるはずがない。
その振動というのは、今の感覚を「10万倍」以上に鋭敏にしないと分からないわけだ。
生き物の生体機能なんかでは、絶対に知覚不能といえる。
◇
ところで、肉体から抜け出した臨死体験者の中には、この世界のありとあらゆるものが「愛」によってできているのを見た、といったことを証言している人も多い。
超越した意識の覚者もまた、同じことを説いている。
おそらくそういうのは、「1秒間に18回」までしか知覚できない肉体機能の縛りが外れることによって――、
あらゆるものの「振動」そのもの、あるいは振動を起こさせている「本質」の存在を感覚的に目の当たりにして、そう語っているのかなとも思います。
いま私たちの目に見えている世界とは、「1秒間に18回」までしか認識できないという制限にもとづいて知覚した世界。
でもその知覚の制限を超えた、目にも止まらないレベルでは――
ユクスキュルが言うカタツムリのように、私たちはいわば「愛」の棒によってつつかれているのでしょうね!…
およそこの世は全て量子が作り上げている世界
(有機物、無機物、人の肉体や感情などもすべて)
無意識を通して人間はその全てを観ています
ここ(地球)には自分が思うよりずっと面白い世界が広がっています
最後までお読みいただきありがとうございました。