必然に導かれて | 意識が世界を創っている

意識が世界を創っている

心と身体のつながりを日々研究中
面白いことをみつけたら不定期でつぶやいています

こんにちは

量子場調整師 日下まお です。

 

昨夜、友人から連絡があり

高尾山に行こうとのお誘いに

「これは高尾山に呼ばれたな」と思い

今朝早く出発しました。

 

出かける前にチェックした天気予報は

「大気の状態が不安定、断続的に雨雨は続き

ところにより雷雷も・・」というもの

 

確かに窓の外は厚く雲が垂れ込めていました。

 

でも私たちは二人とも晴れ晴れ女晴れ

「二人も揃っているんなら大丈夫よね〜」と

傘も持たずに出発

 

私は高尾山へは何度か訪れています。

でも頂上へは行ったことがありませんでした。

 

いつも「あ〜いいな〜照れ」と高尾山全体の佇まいに

触れているだけで幸せになり

そのままほわ〜っと帰路につく・・・の繰り返し

 

それでも

一度は頂上まで行ってみたいなと気にはなっていたので

この機会に友人と登頂(!)を試みたのです。

せいぜい標高600ちょいと侮るなかれ!

 

結果キラキラ行ってよかった〜キラキラ

 

向かう電車の中で

「落としてこい、落としてこい」というワードが何度も浮かび

(一体何を落とせと??)と思いながらも

お財布を確かめたり(ちがーうっ)しながら

高尾山口駅で友人と再会

 

久しぶりの友人と

いろいろなことを話しながら

山道を歩いていると

 

人はこれほどに守られていると

気づかされることばかり

 

そして私たちの周りに展開される

生活や人生 = 色(しき)の世界には

やっぱり困ることなど何一つなくて

 

一人一人が選んでいるようで

選ばされていて

偶然を装ったその出来事はすべて必然であり

最善の事で

 

私たちにはその事どもを

苦しみや悲しみとして受け取るか

幸せとして受け取るかの自由は

もう最初から与えられている

 

その道は皆等しく平等だけど

あまりにも細いその道に

もし気づけたならラッキーなのだ

と歩く道々でだんだんと気づかされていきました。

 

聖書だったか

「狭き門より入れ」とは

こういう事を言っているのかな?とかふと気付いたり。

 

雨にも全くと言っていいほど遭遇せず

土砂降りになっていると気付いたのは

お蕎麦やさんで昼食を取っている時のみ

 

もちろん、食事が終わって店を出る頃には

きっちり雨は止んでいて

結局、帰宅するまで傘いらず合格合格

 

なんだか

ブッダを七日間、風雨から守り続けた

ムチャリンダ雨に守られている(!?)ような気が!

 

それすらも

私がそう思うならそれが正解なんだと

そう思える自分にやっとOKが出せるように

なったこの頃・・・

 

それもこれも本当に量子場調整で

私自身の無意識を育て続けているからなんだと

感謝の念が自然に沸きおこった今日でした。

 

これは特別なことではありません

誰にでもできること

起こりうることなのです。

 

お蕎麦、美味しかった〜 この時、外は土砂降りになっているのを私たちはまだ知らない

 

最後までお読みくださりありがとうございました。