怒り、もしくは悲しみ | 意識が世界を創っている

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心と身体のつながりを日々研究中
面白いことをみつけたら不定期でつぶやいています

こんにちは 

 

先日、家族から言われた一言に「カッチンプンプン」ときました。

普段は鈍いというかぼーっとしているので何か言われても

すぐに心が反応できず

しばらく経ってから「そういえばさっきあんなことがあったな〜う〜ショボーン

ってなることもあるのですがそのうち忘れちゃう

 

ところがその日は珍しく心がすぐに反応をして

「あ、私怒ってる・・ん?悲しみもある・・」という具合になりました。

ちょっと新鮮な感覚

生まれたての感情に自分で気づいているって・・。

 

その時の私の体の反応は

 

目線は少し下がり気味、

両肩やや前屈み(極端ではなく自分で感じるくらいの)

 

ちょうどスーパーでの買い物途中だったのですが

購買意欲が落ちて目的のものだけを早々に購入

実は目的のものも買うのをやめようかと思ったくらい

行動が抑制されました。

胸郭が少し狭まり、その中で

灰色のごくごく小さい点描がうっすらふりはじめてる

というか浮遊している  あくまで私個人の感覚です

 

こんな感じか〜ショボーン

 

過去、怒った時にはよくその経緯を脳内再生させて

「あんなことがあったのはこれが原因に違いない」

「こんな目にあったのはこういう気持ちだったからだ、最悪〜ムキー

「こんなこと言われたのはあの人が私をダメなやつと思っているからだ〜プンプン

とか

そりゃもう、いろいろストーリーを作って何度も何度もかみしめていました。

 

だから、怒りとか悲しみの体感がどのようなものかをじっくり観察したのは

初めてかもしれない

 

そう!これは

量子場を観察することが習慣となってきたからか!

そういえば私、量子場調整師になってから初めて怒りの場面に遭遇したんだ

 

宣伝めいてなんだかヤラシイですが

言い訳ですが、赤字はここまで書いた時に初めて気づいたんです。

このことについて書こうと思い付いた時も気づいていなかった・・鈍すぎ・・ですかね

 

とにかく自分の気持ちを第三者目線で眺めているという

状態は自分でも面白いなと思ったので

私が怒りを感じるきっかけとなった出来事はもうほっといて

自分の感情がどういう変遷をたどるのか見ていこうと思いました。

 

そうしてスーパーを出て帰途に着いた時、まだ私の気持ちは

前述のまま。

ふさいだ気分があとどれくらい続くのかもわかりません

体が少し重い 気持ちも空を見上げられないくらいです

鏡を見れば顔の皮膚だってダダ下がってるわコレ

だけど怒りを「経験」するためにこの「事」が起こっているんだよね〜

あ〜あ、キツ〜ショボーン

 

なんて思いながら家の前まで帰ってきた時友達からLINEが来ました。

 

それは業務連絡に近くて

特に気分が「上がる」ような内容でもないLINEだったのですが

それに返信している間

私の体に明らかに次の変化が起きてきました

 

胸腔内に広がっていた灰色の点描様のモノが

徐々に薄れていきました

 

ちょっとその点々を胸にとどめてみようとしたのですが

   消えて行きました

崩壊したという表現がなんとなくあう様な感じ

 

空を仰ぐほどではないけども目線も徐々に上を向きます

 

あっ、姿勢はどうだったかしら・・・

   チェックしませんでしたアセアセ

 

それでも

ホーーニコニコ 「怒り」の消失を目の当たりにした〜ニコニコ

体感をきっちり感じ取れたと思いました

 

ある日本人作家がエッセイで

「感情や思考は雲のようなもの、湧いてはまた去っていく。僕はジョギングを

しながらそれらをただ眺めている」

と書いていました。

 

楽しい気分も嫌な気分も湧いてくるし、それに「良い」「悪い」のジャッジを

することは意味がないというふうな記述だったと思います。

 

 

全ては湧いて消えていくもの

 

それをただ手放すというより感じ切る

ネガティブな感情は確かにキツイし

できたらあまりお目にかかりたくないけれど

訪れてくるものなのだから仕方ない

 

でも、余計なジャッジを加えなければ

その消失は早いんじゃないでしょうか

 

 

ここまでお読みくださってありがとうございました。