葉っぱの目線 | 意識が世界を創っている

意識が世界を創っている

心と身体のつながりを日々研究中
面白いことをみつけたら不定期でつぶやいています

こんにちは

私は葉っぱです

 

 

みなさん、日差しがきつくなってきましたが

いかがお過ごしでしょうか?

 

こんな葉っぱである私にも1日というものがあって

朝、暗いうちに目覚めると他の葉っぱたちの間から

空を見ています。

東の空が少しずつ明るくなって星も消えていくと

小鳥たちが起き出して餌を探しにやってきます。

 

小鳥たちの鳴き声は面白い

彼らは自由に飛び回るからいろんなところで

目にしたこと聞いたことを

おしゃべりし合うんです。

 

それを聞いているだけでも

この世は知らないことだらけだなって思います

 

だけど私はこの葉っぱ世界で生きている

成績も優秀、スタイルはちょっと自信ない

あと、気になるのが前面の黄色いシミよぉ~

本当に嫌になっちゃう

 

私の隣の子なんか

綺麗なつるっとした姿なのよ

嫌になってしまう、私のシミ

 

私の上の子ときたら

スタイルもいいし色も素敵なのに・・

私は全くツイてないって思います

こんな姿に生まれてきて

 

みんな風が吹くと

そりゃあ楽しそうにうまく踊るんです

キラキラしてて羨ましい

それに比べて私は・・

上手に踊れもしない

みんな私のことを見てこっそり笑っている

絶対そう

 

世の中不公平だって考え出したら

生きるのまでも

嫌になってしまう

 

なんでそこまで考えるのかって?

そりゃぁ決まってるわ

よりよく生きるためよ

他の人より輝きたいからよぉ

目立ちたい

うまく踊りたい

 

じゃないとちゃんと生きていけない

ちゃんとって・・・

ちゃんとってことよ

 

よくわかんないけど

とにかく!

ちゃんとしてなきゃ生きていけないの~

 

え?何?

下の子が何か言ってる

 

「私たちは大丈夫よ」って・・何が?

「私たちは生かされている」って・・どういうこと?

「私たちは一人じゃない」って・・・はぁ?何言ってんの?

ばっかじゃないの?

 

一人で生きていかなきゃならないから

こうやって色々悩んでるんじゃん

 

「私たちはつながっているの」って・・・もう、さっぱり意味分からん

「何があっても大丈夫」・・・

 

そんなこと急に言われてもねぇ

 

なんで生まれたかよくわからないけど

大丈夫だとはとても思えない

それぞれ違う一枚一枚だから

それぞれ自分で生きていかなきゃならない

 

よそなんて当てにしてらんない

 

あれ?でもよく見てみたら・・・

私のすぐ先にいる子と私ってなんだか繋がっているみたい

 

あれ?その先にも

あ、これ私たちと違う色だから気づかなかったけど

なんだか私とその他の子たちとの間に茶色い何かがある

その茶色いものに私たちはみんなしっかりとしがみついているのね

私たちがしがみついているものは「枝(えだ)」っていうものだって

あっちの子が教えてくれたわ

 

その子と私もよぉ~く目を凝らしてたどってみると

この枝で繋がってる!

 

おお~あの大きいもの

私が繋がっているのは細いものだけど

その先にはもっと大きくて揺るぎないものがある

おっきいな~

私それに繋がってんの?

私たち

別々の存在じゃないの

え?え?

それって?

エエーーー!?

 

 

 

なんていうふうに桜の木の葉っぱが考えたかは知りませんが

もし葉っぱが一枚一枚、「他の葉っぱとは違う、自分は独立した存在だ」

と思っていたとしても

私たち人間から見たら「桜の木」です

 

ひるがえって私たちの体は何十兆個という膨大な細胞の集まりから

構成されています。

それを私たちはまるで自分の意のままに操れるものだと思いがちですが

心臓はじめ、他の消化器官一つとってみても

なかなかその働きを意識的に制御できるものではありません。

 

勝手に湧いてくる思考や感情もしかりです。

 

誰がやっているのでしょうか

なにが制御しているのでしょうか

 

例えば思考は脳から湧いてくるのだとしたら

それは脳のどこから思考が湧いてくるのでしょうか

 

立派な意識を持った細胞一つ一つが人間の感知しえない

ネットワークを駆使して完璧な生命活動の運営をしている

 

それを人間は「桜の木」をみるときのように

「私の体」なんて思っているだけだったりして

 

そしてもっと引いた視点から見てみたら

独立して「私個人である」と思って必死に生きてる私たち自身

もっと大きいナニかの構成要素の「一要素」であり

生かされているだけなのかも・・・

 

そう考えるとそれを知るすべは

ここを離れた視点から見られるようになった時

なのかなと思います。