関西で老舗のサーフボードメーカーのテストライダーをしていたケンちゃんと、その仲間たちと海に行くようになり、私の腕前も少しずつ上達して、完全にサーフィンの虜になり、真冬でも日本海でサーフィンをするようになりました。
道中で行き交う車のほとんどは、屋根にスキーを乗せて走っています。
そんな中、サーフボードを載せて走っている車を、行き交う車から不思議そうな顔で見られていました。
真冬の日本海の寒さはさすがに身に沁みます。
ウェトスーツを着ていますが、当時のスーツは簡単に水が入ってくるので、「冷たい」を通り越して
「痛い」という方があたっています。
浜辺に積もった雪をサクサク踏みしめながら、ボードを抱えて海に向かい、根性を決めて叫びながら海に飛び込むのです。
沖に出るまでに、何度も波をかぶるので、そのたびに体の中に氷のような海水が入ってきます。
今から考えると、みんなMだったに違いありません(笑)
普段は和歌山や、伊勢、静岡の御前崎がよく行くポイントでした。
台風が来て良い波が立ちそうな時は、平日でもバイトや学校をサボって海に行くのが当たり前でした。
サーフィンはスポーツというよりも、ライフスタイルそのものだと思っています。
アメリカ西海岸発祥の自由で明るいヒッピー文化と、ハワイの伝統的なアロハスピリッツを融合したような、海と自然と自由を愛する生き方です。
私が尊敬する作家の池澤夏樹さんも、「カイマナヒラの家」という作品で、サーフィンについて素敵な言葉を書かれています。
ある女性が主人公に向かって言うセリフ。
「でもあなたはサーフィンを見つけた」
「たしかにね」
「サーフィンに出会えたら、それでその人生はもう半分は成功なのよ」
こうしてサーフィン三昧の学生生活でしたが、ケンちゃんは私より1年先に大学を卒業して大手不動産会社に就職しました。
1年遅れて、とうとう私の大学生活にも終わりがやって来ました。
「いちご白書をもう一度」が流行っていた時期でしたが、「就職が決まって、髪を切ってきたとき、もう若くないさと、君に言い訳」することもなく、サーファー仲間の紹介で、小さなデザイン事務所でアルバイトすることになったのです。
少しですが、高校時代のキャチフレーズである
「さすらいのアーティスト」に近づいた気がしました。
今でも、テーマ曲を聴くと血が騒ぐ、映画「ロッキー」が封切られた年のことです。