No.956 商人って不思議?(その1) | ryokukanetworkのブログ

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砂漠緑化活動を行うNGOのスタッフブログ。農村出身の若者達の日常がメインです。中国の農村の日常を綴ったブログはレアかも?まったりゆるゆる系でボチボチ更新します~!

みなさん、こんにちは。

うぇんじゅんです。

 

中国史を紹介するシリーズ。今回は、中国史で私がもっと知りたいと思った人物を紹介します。その名は呂不韋(りょふい)。時は、以前お伝えした紀元前450年ぐらいから紀元前200年ぐらいまでの戦国時代。「燕」「趙」「斉」「魏」「韓」「秦」「楚」という7つの国に分かれてそれぞれ覇権を争っていた、動乱の時代を収束させる「秦」に現れた人物です。

 

 

 

この人は商家の生まれで、当初は商売で手堅く富を築いていくんですが、最終的には秦の首相に相当する丞相にまで出世します。いったいどんな手段で出世したのでしょうか。簡単に言うと王子の後見人になったんです。

 

 

 

でも、普通は一介の商人が王子の後見人になんてなれませんよね?これは次のような言い伝えがあります。趙と楚は隣国どうしでいさかいが多く、趙の人質となっていた秦の皇太子の子の一人が不遇な扱いを受けていました。これをたまたま見かけた呂不韋が、これは将来有望だと思い、秦に帰って父と相談します。

 

父に、農業はどれぐらい儲かりますか?と尋ねると、10倍だと言われます。

 

では宝石販売は?と聞くと100倍と言われます。

 

では、一国の君主を立てると何倍儲かりますか?と聞くと、数えきれないほど利益が出ると言われます。

 

そこで呂不韋は皇太子の子である異人をなんとかして王子にすることを決心します。私は呂不韋のこの考えが不思議です。手堅く商売をしていた商人がいきなりリスクが大きい賭けに出るものでしょうか?いかに儲けが大きいとは言え、失敗のリスクの方がめちゃめちゃ大きいと思います。

 

実際、当時の皇太子には男子が20人以上もいたそうです。その中から次の世継ぎに選ばれるのはなかなか厳しい戦いですよね。ましてや、人質に出されて冷遇されていた人物を、です。しかし、呂不韋は皇太子の寵姫の華陽夫人に取り入り、結果的には皇太子から異人を世継ぎに認めさせることに成功します。結果論だと呂不韋は大成功と言えますが、私には理解できませんでした。商人とは、機会を見つけたらどんなに可能性が低くても挑戦するものなのでしょうか?それとも、絶対に失敗しないという作戦があったのでしょうか?うーん。。

(珍しく考え込んでますな)

 

(つづく)

 

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