備忘録① | あの頃は若かった

あの頃は若かった

~失敗ばかり、後悔ばかり、運のない人生。老年期に向かっての心のこと、身体のこと。もう少し悪あがきしてみます。~

『人生最高のセックスは60歳からやってくる(ちつのトリセツ恋愛実践編)/原田 純著/径書房)』という本を読みました。

これは性交痛で悩み、改めて膣のお手入れを考えているときに出会った本です。ベストセラーになった著者の『ちつのトリセツ』の続編とでもいうのでしょうか。そちらのほうは読んでいなくて、膣ほぐしや膣トレーニングなどのお手入れ方法はネットで調べてみて、できることをできるときに行うようにしています。

 

かかりつけの女性泌尿器科に行き(以前「子宮脱」で「LSC」という手術を受けたところです)、性交痛での受診をし、内診も受けましたが異常はありませんでした。数か月前には職場の健康診断のオプションで子宮体ガン検診も受けたので、たぶん大病はないと思います。そのクリニックではホルモン補充療法をすすめられ、女性ホルモンの飲み薬を処方されています(これは乳がんになるリスクがあり、必ず検診を受けてほしいと言われました)。自由診療で販売されているクリーム(量の割には高額!)も、つい買ってしまった。入浴後に入り口や周辺に塗布しています。中も、指で少しですがほぐすような気持ちでマッサージをしています。私はたぶん中が鈍感なのか、全然気持ちよくはないですが。レーザー治療もあることを知りましたが、高額でもあるし、よほど致命的になったら考えてみようと思います。

 

 

この本で著者の経験談や性遍歴、性についての考察などを読んで、私は自分がどうしてこんなに性にこだわってしまうのか、なんとなくわかったような気がしたのです。私はいつも「性欲とはなにか。なぜ人間の三大欲求なのに、こんなにも隠して罪悪感を抱かないといけないのか」を考えてしまっていました。これといった答えはまだ出ませんが、すごく共感できるところがいっぱいありました。うまくまとめることができないのでところどころ抜粋します。

 

性欲とは何か

 

○性欲が、子孫を残すためだけに備わっているものだとしたら、閉経した私たち中高年女性が性欲を失うのは当然のことです。それなのになぜ私は、すでに子どもを産むこともできない体なのに、セックスができる体でいたいと思うのでしょう。老いを受け入れるのがイヤだったから?表舞台からフェードアウトしていくのがさみしいから?

 

○江戸時代後期に「武士階級の家父長制的な家制度」が広まっていき、明治になって制度として規定された。今の結婚制度はその当時から始まり、女性に純潔・純愛・貞淑・貞操を要求した日本の性文化もその頃から始まったといわれています。与謝野晶子の言葉なども紹介されており、〈女性の性欲は「ないもの」であり、たとえあったとしても『男性に誘導されるまでは、ないことにしなければならないもの』だった〉としています。女性の性欲も、実は「愛とは無関係に発現するもの」なのであると著者は言う。

 

○「恋愛結婚」というものが入ってきたのは昭和中期。家制度に縛られることなく、「愛し合って結婚して、愛あるセックスをして子どもを産む」ことが当たり前になった。それは結果的に、女性だけに愛と性の一致や、貞淑であることを求め、女性の性欲に蓋をしてしまった。そういう結婚の形は生物的にも長続きせず、結婚を一生の約束とするのはもう無理があるのは周知の事実である。

 

○著者の考える性欲とは、「安心できる相手と懇ろ(ねんごろ)になり、誰にも干渉されないところで、自分の体や性器を相手の体や性器にこすりつけてマスターベーションを行い、オーガズムを得て自分を解き放ちたい欲望」としています。懇ろとは「情を通じること」、解き放つとは「境界がおぼろになり、結界が解け、外界と交じり合ったのちに再び統合される。未知の自分との出会いと再生、刷新のイメージ。(著者は2人で行うセックスも究極的にはマスターベーションだとしている。)

 

○人に欲される、必要とされる、認められる。本来この3つを同時に満たしてくれるものは、「子どもを含む家族」と「性的関係」だけである。性的関係で結ばれた家族、あるいは恋人との関係だけが、「自分がかけがえのない存在であることを実感させてくれる関係」なのです。

 

(続く)