がん闘病記
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#母との約束
治療で、すっかり髪の毛も無くなり
「がん患者」という言葉が板について
きてしまった私・・
治療中は、実家から
母が頻繁に私の家にきてくれた
実家と言っても、電車で一本
1時間もかからないの距離なのだけど。
19歳で東京で一人暮らしを始めてから
東京の生活が楽しくて、忙しくて
のんびり両親と話すことは、そんなになかった
だから、治療中は、人生で一番
母や父、姉と時間を共にしたと思う
豪快でおおらかで、自分の事が大好きな父と
明るく心配症で、人の事ばかり考えている優しい母に
育てられた私は
常識のふり幅広く、のびのびと育ったと思う
学生時代、髪を真っ赤に染めて学校から電話かかってきた時も~
(むしろ、素敵な色ね~と褒められたような・・)
高輪警察に補導されてしまった時も~
(これは、深夜に出歩いていただけなんだけどさ・・)
ミュージシャンになるから!と大学を勝手に辞めた時も~
(これはさすがに反省・・)
特に、怒られることもなかった
「美人で優秀な姉」と比べて
「何かと残念な妹」という立ち位置に、堂々と君臨していた
だけど、一人暮らしを始めるときに
母が、これからは、何をしても自由だけれど
「親より先に死ぬ事以上の親不孝はないからね」
「約束よ。」
と言った。
だから、癌になった時
ああ、これまで全然、親孝行できてないのに
寧ろ、心配しか、かけてこなかったのに
もしかすると、母との唯一の約束
「親より先に死なない」
という約束を破ってしまうかもしれない
最強の親不孝娘になっちゃうよ~
と、かなり落ち込んだ。
でも
この母との約束は、闘病中の
何よりもモチベーションになった。
治療が辛い時も
結果が悪くて、投げ出したくなった時も
こんなにしんどいなら死んだ方がマシ!って
頭にちらついた時も
あの約束があるのだから、あともうちょい頑張ろう!
親が死んだ次の日に死ねばいいんだから!
と奮起させていた
治療中家族とタイ旅行の写真。この後、ぞうさんに
帽子とウイッグをとられるという事件が
治療中って自分の未来のためだけになんて
本当に頑張れない。
きっと、みんなそれぞれ誰かのために
治療を頑張ってる。
自分の子供だったり
かわいい猫ちゃんかもしれないし
自分の会社の社員かもしれないしね
と、人のために頑張ると思いつつ
頭の隅っこの方では~
自分が死んだ後を妄想したりして・・・
もし恋人が、私が死んで、若くてかわいい女の子とつきあいだしたら
「おばけになって、邪魔しにいこう」
とか、、
「私がいなくなったら3年くらいは泣き暮らしてほしいなぁ~
いやっ。3年はさすがに長いかぁ!?
まぁ、最低でも、1年は泣き暮らしてほしいよなぁ~」
とかw
色々一人で、ぐるぐる考えたりして~w
ガンになってもまだまだ
煩悩ばかりの毎日をすごしながら・・
治療は続いていく
続く・・
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