非日常が、日常へ② | 水底の月

水底の月

恋の時は30年になりました 

私の中では「非日常ではなくなった日常」を失うかもしれない、怖さ。

 

でもそれを言葉にして雅治にぶつけようとは思えず

 

 

雅治にしてみれば、それは私の

起きてもない「空想」に則った「仮想の恐怖」

 

仮想通貨よりも、断然リアリティは低い

男性目線で言わば

「本当にそれが起きてから考えたら?」ていう話

 

 

男女の争いの大半はこの噛み合わせの不備

 

相手に、自分の機嫌を取ってもらう恋はしない。

寄りかかってはいても地に足はつけていたい。

彼は別の人間。私の都合のいいように生きているわけじゃない。

 

 

それに

気配が消え、数か月前の日常に戻ったとしても

 

もう切れることは無い、だろうな

と、思えるのも、この1か月の間の心境の変化

 

 

だから私が抱えている不安は、

きっとただの「手元の淋しさ」なんだろうと

 

手元の淋しさはまた、それも立派な淋しさで

それなりに厄介ではあるんだけど

 

 

 

 

 

退院前日

 

 

 

「仕事に復帰したら、やっぱり電話はこの時間くらいかな」

 

「え?」

 

「だいたい話せそうな時間を連絡する、お昼がいちばんいいでしょ」

 

「忙しいでしょ?電話するような時間ある?」

 

「無い時もある、だから毎日とはいかないかもしれない」

 

「毎日!」

 

 

「うん、お昼休みに会議が入ったり昼前の講義もあるからね、その時は時間も変わってくるかな。その時は言うよ」

 

 

「・・・・・・・」

 

 

「どうした?」

 

 

「・・・ううん、何でもない」

 

 

 

ほら、何でもない、

何でもない、勝手に作りあげた「仮想恐怖」

 

 

 

それに

今は、ありとあらゆる感情に「コロナ加算・コロナ減算」がつく

怒りや悲しみは、以前よりもさらに感じやすくなり導火線は短く

喜びや楽しさは、喜ぶ前に逢えなくなったり、楽しんではダメだという後ろめたさを持って小さくならざるを得ない

 

だから、行き違う、すれ違うタイミングに

かけあう言葉は、とても重要で

 

雅治とのことだけでなく、周りの人にも

勢いよく自分の思考や感情を、できるだけ伝えないようにしている

 

その怒りや、悲しみは上乗せなく適切か

それをぶつけて、不要な次の混乱を招かないか

 

できるだけ考えて

 

関わることで生まれる感情は、双方幸せになれるものがいいから

言わなくていいことは、言わないほうがいい

 

 

 

 

これは口から出さないほうがいいかも、とちらっとよぎる言葉は

 

私調べによると、ほぼ100%「出さないほうがいい言葉」だと思う。

 

 

 

 

「毎日?」

 

「うん。何で?・・・あ、でも休みの日はなかなかタイミングが合わせづらいから、電話は止めておこうか。LINEは問題ないから別にいつでも」

 

 

「・・・・・」

 

「どうした?」

 

 

「ううん、何でもない。・・・じゃ、出勤する月曜日のお昼の電話を楽しみにしてますね。明日は控えましょうか、ご家族がお迎えにいらっしゃるでしょ」

 

「いや、退院前に時間は取れるよ、今日よりは少し早いけど、電話する」

 

「・・・はい」

 


こうして、9:1だった非日常は、

互いの日常にそっと沿うように入ってきました。

 

 

明日からは、入院中の話を書いていきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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