非日常が、日常へ① | 水底の月

水底の月

恋の時は30年になりました 

次は、雅治が入院したときのことを書こう書こうと、そう思いながら書かずに、ブロ友さんのところにもあまり出向けず、家庭内の日常に没頭していました。

一旦停止、をしないと回せないって、もうちょっと色々と日常を、いや自分をうまく回せないものかと、いつも思います

 

 

雅治が入院中のこと

流れが色々と大きく動いたことを、書いていこうと思います。

お時間のあるときに、またお付き合いいただければ嬉しいです。

 

 

「えっ!」と

読んでいて思わず声が出ました 大丈夫ですか?

 

 

病のこと、入院のことを書いた折に

そんな言葉を、ブロ友さんたちから届けて頂きました

とても嬉しかったです、ありがとうございました。

 

報告がずいぶん遅くなりましたが

雅治は、かの地で元気に過ごしています

 

 

 

退院直後は

言われていたことではあったけれど、思ったようにはならない体調に

少しためらい、心配もして

 

そんな時もあったけれど

今は比較的穏やかな、以前のような日常を取り戻しています

 

 

この病は

治るか治らないか、で言えば、治らないほうに入ります。

だから、悪い方向へのシナリオはいくらでも描ける。

 

 

でも、医療の現場では

 

治らないことは悪で、治ることだけが良い。ではなくて

昨日と変わらない日常を過ごすこと、を目標とする場合も多くて

 

ささやかな、いつもどおりの日常が、過ごせれば。

 

 


 

 

入院中は、時の許す限り電話で話をしました

1か月ほどの間に、「もしもし」のトーンで、言葉の端々で、その日の雅治の体調や、気分の些細な浮き沈みがスッと解るようになる

 

それはまるで、病室の、ベッドの隣で付き添っているかのような

 

気配をいつも、肌で感じている時間でした

 

 

 

 

でも、そうなればなるほど

 

私は、退院後の「非日常」が、怖くなっていました。

 

 

 

退院したら

 

見えていた景色はさあっと波が引くように消え失せてしまうのだろう。

気配は日常の喧騒にまぎれ、凪いだ湖面がまた広がる。

 

 

違う違う

 

これは、今は、特殊な状況なの。

 

ひけていくイベントの熱。

夏まつりの騒がしさや、冬のゲレンデの浮かれた気配にも通じる様な

 

吊り橋効果、そう、それそれ、それに近いかもしれない

 

そう、そんなものよと

揺れる気持ちを、そんなふうに騙す

 

女性ならわかるかもしれないですが

なかなか、こんな物思いを男性はしない。

 

 

それは、

もう私の中では「非日常ではなくなった日常」を失う怖さでもありました

 

 

 

 

 

 

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