毎年七月になると家内の実家の義姉が地味噌を造ってくれます。
もうここずっと我が家の味噌はこの三木里の地味噌です。
これが美味しくて・・できたての味噌をいただいてから1週間ほど寝かせます。寝かせると云っても何もしないわけではありません。塩との馴染みを良くするためと発酵を促すために毎日小袋ごとに分けた味噌を揉んだり押さえたりするのです。
で、今日やっと家内が「もうそろそろ良いようね」と云うことで、早速第一号を味噌汁にして戴きました。
美味しかったですね。口当たりのほんのりとした甘さ・・なんとも言えません。暖かいご飯にこの味噌汁、もう他におかずがいらない位なんですね。
この味噌を頂くようになってもうかれこれ30年にもなります。
義母がまだ元気な頃、自作のこの味噌をちょくちょく戴いていて、その時はまだそれほど意識もしていなかったのですが、ちょっと不謹慎かもしれませんが、その義母が未明に亡くなってその日の朝、家内の実家で親戚達が集まり、まだ悲しみも消えぬ中、皆で朝食を戴いたのですが、この時の味噌汁の味が今でも忘れられません。それは美味しかった・・・。
具は豆腐であとはネギだけ。ホントに美味しかった。
この味噌の味はその家によってそれぞれ違うらしいのですが、とにかく義母の造る味噌はそれは絶品でした。
その味噌造りを少しでも義母の味に近づけるようにとそれは大変な試行錯誤をしながら義姉が引き継ぎ、今に至っていると云う訳です。(幾夜も寝ずに発酵管理したりするのですから・・)
塩だけは我が社の「キパワーソルト」を使ってもらっていますから、そりゃもう贅沢な健康食品みたいなものです。
ホントありがたい話です。
他にもあります。
お茶・・これも自分たちで摘んだものをきちんと加工して乾いたものを頂きます。後は時たま少し煎るくらいで、このお茶、そのままでも良し、熱くても良し、今なら冷やして飲みますが、とにかく他の飲み物がいらないくらいいつも飲んでいます。
美味しいお茶は京都の知人が毎年送ってくれますが、それに負けずとも劣らないくらいの僕的には美味なんです。
どうも家内の実家の三木里地区は何かにつけ食べ物の素材やその味付けに実に細やかで豊かで、何かにつけ美味しいのです。
ここの「魚ご飯」食べたらもう他は食べられないくらいです。尾鷲の魚ご飯はと云うと、昔よく祖母や母が炊いてくれていましたがそれは五目ご飯みたいで、最初は美味しく感じるのですがそう何杯も食べる気になれなくて、僕的には好物とまでいきませんでしたね。結構好き嫌いがあると思います。
が、この三木里の「さかなご飯」は魚(ムツやタイ、アジなど高級魚ばかり使う)とネギだけのシンプルなものですが、これが美味いのですよ。酒のつまみにもなってしまいついつい食べ過ぎてしまいます。
それと「まぜ寿司」これも美味しい。
僕は家内の親戚のあるおばあちゃん、90才を超えてかくしゃくと元気な人ですが、このおばあちゃんの作るまぜ寿司、こりゃたまらんくらい美味しいのです。
出汁などアジをこんがり焼いてその身だけをほぐしてそれから取るらしいのですが、もうそこから凝っているのです。
椎茸も干し椎茸を入念に戻し、処理してそれを使うらしいです。
適当な味付けで偶然美味しい・・そんなものじゃないのです。味の土台がまったく違うのですよ。
おまけに茹でたサヤエンドウの千切りにしたものや柚なども散らし、そりゃもう見た目も綺麗で随分と食をそそるのですよね。
まぁなんと云うかそのセンスにはほとほと感心させられますね。
先日も何かの折、そのおばちゃんに出会ったので小さく耳打ちしておきました「おばちゃん、寿司また作ってよ、ほんまやで・・」と、おばちゃんもまんざらでもなさそうで密かに楽しみにしています。
さてさて、美味しい味噌のことから話は弾んでしまいましたが、このような独特の味のようなものは長年その家や集落に引き継がれてきたものでその地域性とか文化性を感じざるを得ません。
僕は家内の実家がそんなんで結構その恩恵を受けていると云う訳です。
こういうもの、というか事、一種技術ですね、それってこれからもずっと綿々と引き継いでいってほしいものだとつくずく思いますね。
毎年この季節にいつものように頂くこの「地味噌」妹の民宿にもお裾分けしていますが、随分と評判が良くてすぐに無くなってしまうようです。
と云うことでまた朝の楽しみが増えました。今朝はつい二杯もお替わりしてしまいました(^_^;)