今年も盛況のなか京都大会(今は「全日本剣道演武大会」と云いますが、やはり僕らは京都大会の方がしっくりきますね)も終わりました。
僕は今年は立合にエントリーしませんでした。
何となく今年は審査に集中してみようと思ったからです。
今でもよく耳にするのですが、審査はこの大会が終わった後に行う、これが本当だと思うのですがね。
以前はそうでした。
六段の審査の時もここに出られている先生方の立合をしっかり見て、気分を作って挑んだものです。
今のこの制度はは何となくいけません。運営上の問題かどうかは判りませんが主催する側の都合でしかありませんね。
で、今年気づいたこと、それは5日に行われる八段の立合がこの大会の掉尾を飾るのですが、僕は4日に地元紀南の中村先生が久々に出場されると云うことで、いつもなら自分が出番を待つような午後の時間にあわせて会場に出向きました。
先生はかなり後半の出番なのでお陰様でその間色々な立合を見学させてもらうことができました。
よい勉強になりましたね、ホント・・・。
これまでだったら5日の八段戦にばかり気に留めていたのですが、なんとまぁじっくり見せて頂くと新しい発見が多数ありました。
特に自分が出場していると自分のことで精一杯で、実際のところごく親しいところ以外は他人の立合をじっくりと見ることもなく終わってしまうのですが、今回は一見学者としてしっかりと色んな立合を見ることができました。
その中で思ったのは、まず八段顔負けのレベルの高い立合も多々あると云うこと、それと年配の超ベテランの七段にはとんでもない使い手が隠れていると云うこと・・ですね。
どちらかと云えば、まぁ翌日の八段戦の混雑振りと比べたら観客もまばらで人気の点では今ひとつでしょうが、よく見ると「こりゃ大したものだ!」と思わせるような方いますからね、正直驚きました。
仮に翌日の範士の部で出たとしても誰が見ても気づかないだろうと思われる使い手が数人はいました。
若手・・と云っても僕らくらいの年代ですが、もちろんそこにも翌日出てもなんの遜色ない使い手もいるわけで、逆に今日5日に八段戦も見学させてもらいましたがずっと見ていると「うーん、ちょっとなぁ・・」と思わせる方も何人もいました。
要は八段になったかまだなれていないか、この差なんですよね。
剣道の力は変わらないし、逆転していることだってありますもの。
範士の部の立合でも首を傾げたくなるような立合幾つもありました。
それでもまぁ、いい歳こいたおっさん・・どころか、じいさん達が普段は地元で大先生として存在しているのでしょうが、この大会では何せ必死こいて自分の剣道を戦うのですからね。そんな姿はここでしか見られませんけどね。
一般的にみても大変珍しい光景(^^;)だと思いますね、まったく。
いやぁー剣道は面白いですね。
そんなことつくづく感じた今回の京都大会でしたね。
失礼ながらと云うか、悲しいかな「あー、弱ってしまったなぁ・・」「老いてしまったなぁ・・」とか、否応なく感じてしまう先生も毎年増えてきます。
そんな一抹の寂しさも感じた今回でした。
武徳殿周辺の景色は昔からほとんど変わりありません、そこに集う人だけが毎年変わっていきます。
僕も含めてですけどね(本当は俺は不死身、不滅と思っていますがね・・・)
これもまた「一期一会」・・的な、なんとも切ない思いに駆られる訳です。