<河盛好蔵、
バローズ、
ヘッセ>
1486「人とつき合う法」
河盛好蔵
長編 あとがき 新潮文庫
目次
イヤなやつ / 秀才気質 / つき合いのいい人 / 名もない虫 /
割勘について / 悪口について / 物くくる友 / 他人の秘密 /
話題について / 酒の飲みかた / 時間を守ること / 言葉づかい /
二人の友 / 中身と額縁/古い友、新しい友 / 礼儀について /
虫のいどころ / おせじについて / 父親とのつき合い /
師弟のつき合い / 兄弟のつき合い / 親友について /
ライヴァルについて / 友達のできない人 / よき隣人 /
母親について / ガールフレンド / 遠来の客 / 金銭について /
旅の道づれ / 悪友に手を出すな / 約束について /
エスプリとユーモア / 喧嘩について / 紙上でのつき合い /
あとがき
「私たちは女性を恋愛の対象としないで
つき合うことを学ばなければならぬ」
(”ガールフレンド”)
「酒を飲むときには、
酒を飲む以外の目的をできるだけ持たないことが望ましい」
(”酒の飲みかた”)
人生の練達者である著者が
若い人々におくる人生案内書。
親兄弟から師弟、友人のつき合い、
酒・ガールフレンドと題材は自在に35章、
説くに平易で諧謔に富む ”人生処方箋” である。
<ウラスジ>
河盛好蔵って言うと、
わたしの中では
『エスプリとユーモア』
がダントツで、
紹介すべき岩波新書の順番が回って来てないのに、
なんか先走ってどっかで引用してしまった記憶があります。
それがまた、
ほぼほぼ関係のない作品で登場させているらしく、
後から調べようにも手掛りが見つからなくて……。
ああ、あったあった。
……って、どこで登場させてるんだ?
フランス対イギリス
ルブラン対ドイル
ヴェルヌ対ウエルズ
そして
エスプリ対ユーモア
かような図式でご足労願ったのでしょう。
これも<若書き>の一種かと――。
(しかも、もう一度他のところでも
このリンク先を使っている覚えがある……)
さて、この『人とつき合う法』の中にも、
<エスプリとユーモア>という項があります。
余程このテーマに愛着(執着)があったようで、
<エスプリとユーモア>のエッセンスが
数ページの中に凝縮されて提示されています。
<余談 1>
さて、私の中で
エスプリ=フランス人
という公式が出来上がっていて、
それを応用していた時期がありました。
それは
<トルシエ・ジャパン>
の頃(2002年に向けての!)でした。
小田嶋隆さんらとともに、
数少ない(?)
”フィリッピーナ” (フィリップ・トルシエのファン)
だったと言う事で、
彼の言動に色々と当てはめて、
なんやかんやで
独りごちていましたな……。
古っ。
だけど懐かしっ。
<余談 2>
河盛好蔵の著作は同じ新潮文庫で、
『親とつき合う法』
がこのあと控えています。
こちらも名著の誉れ高いものです。
で……。
岩波新書の『エスプリとユーモア』は
いつ登場するのやら。
1487「火星の秘密兵器」
火星シリーズ⑦
エドガー・ライス・バローズ
長編 厚木淳:訳 創元推理文庫
ヘリウムの美女がある夜、
国籍不明の怪飛行艇によって誘拐された。
ハストールの戦士ハドロンは、
恋人の捜索のために故国をあとにした。
恋人が誘拐された先は強国ジャハールであり、
その皇帝は秘密兵器を開発して、
火星全土の征服にのり出さんとしていることを
彼はつきとめた。
その秘密兵器とは金属分解光線ライフルであり、
この威力の前には
火星の大元帥がひきいるヘリウムの大艦隊も
ひとたまりもあるまい。
ヘリウムと恋人の危機を救うべく、
見えない飛行艇に乗りこんで
超人的な活躍をする勇士ハドロン!
<ウラスジ>
* ヘリウム……
火星における赤色人帝国。
ジョン・カーターの妻であるデジャー・ソリスの
祖父タルドス・モルスの支配下にある。
またまた登場、
新たなるヒーローとそのお相手。
しかし、そのお相手となるのは、
<ウラスジ>にある誘拐された美女ではありません。
これも貴種流離譚の定石通り、
女奴隷として登場し、最後に ”実は……”
と正体が明かされるタヴィアという美女。
で、とにかく、
思わせぶりに誘拐される
このサノマ・トーラという女が、
とにかく ”サノバビッチ” で……。
内股膏薬かストックホルム症候群か、
散々ハドロンを裏切っておきながら、
体勢が決まって来ると見るや、
「わたくしはあなたを愛しています。
あなたを愛していることが、今わかりました」
……と来たもんだ。
You Tubeで見かける<スカっとする話>を
地で行くような顚末が待っている――。
おととい来やがれってんだ。
1488「荒野のおおかみ」
ヘルマン・ヘッセ
長編 高橋健二:訳 新潮文庫
物質の過剰に陶酔している現代社会で、
それと同調して市民的に生きることのできない
放浪者ハリー・ハラーを
“荒野のおおかみ” に擬し、
自己の内部と、自己と世界との間の二重の分裂に苦悩する
アウトサイダーの魂の苦しみを描く。
本書は、同時に機械文明の発達に幻惑されて
無反省に惰性的に生きている同時代に対する
痛烈な文明批判を試みた、
詩人五十歳の記念的作品である。
<新潮社:書誌情報>
原題は、
Der Steppenwolf
と言う事で、
まずはこの曲。
コリン・ウィルソンが
名著『アウトサイダー』でも取り上げた、
文字通りの ”元祖・アウトサイダー” が
この作品の主人公、ハリー・ハラー。
この主人公ハリー・ハラーが、
ヘルマン・ヘッセと等しくH・Hであり、
ヘッセのように、
ゲーテとモーツァルトを最高のものとし、
詩作のかたわら水彩画をかき、
神経痛を悩むというふうに、
作家の自画像であることを、
ヘッセはあらわに示している。
<高橋健二:あとがきより>
かつて、”おおかみ” という言葉に
思いを馳せる世代がありましたっけ。
彼らはこの作品の中の
”荒野のおおかみについての論文”
と題された箇所に反応し、
”破壊と否定を良しとする”
ことと捕えがちであったようだと
解説の高橋健二さんは述べられています。
そう、
狼が一種、崇拝の対象とさえなっていた時代――。
石原慎太郎さんの幻の戯曲、
『狼生きろ、豚は死ね』
のイメージもありました。
まあ、<一匹狼>なんて言葉が独り歩きして、
なんか孤高の戦士、もしくは哲学者のように
吹聴されていましたなあ……。
……動物好きの観点から言うと、
狼は群れを造る動物であり、
生態学的に<一匹狼>なんて状態は
稀であろうということ。
ロンドンもシートンもそんな風に描いてる。
ロボはブランカのために命を落としたんだし……。
<余談>
全体的に見ると、
寓話風な姿を借りて今あるものを
問題提起しているようですが、
その様がなぜか私には、
トーマス・マンの講演集
『ドイツとドイツ人』
の中身とダブるところが感じられてしまいました。
それで訳もなく、
「質実剛健のゲルマン魂」
とは、
「インサイドでもアウトサイド」
でも、しっかりと息づいている、
と思った次第でした。
(……この際、ヘッセがスイス人だったってことは、
わき【アウトサイド】に置いときましょう)
<余談>
最後にヘッセの権威者でもある
高橋健二さんのあとがきから、
「頑張りましたね」
と思った部分を抜き書きしておきます。
一九七〇年のアメリカの若者が、
『荒野のおおかみ』に共鳴し、
そういう名のロックンロールのグループを作り、
ヒッピー族がヘッセを現代の聖者に祭りあげているのも、
ヘッセが四十年前に、
二十世紀後半の精神的状況を
先取りして感じとっているからである。
<高橋健二:あとがきより>
……からの「ステッペンウルフ」。
<余談の余談>
ただし、私が『ワイルドでいこう!』を
ちゃんと認識したのは、
ブルー・オイスター・カルト
のカバーでだったと思います。
東海岸のヘヴィメタの雄。
『ゴジラ』
なんて楽曲もあったなあ……。
冒頭で、
”臨時ニュースを申し上げます”
を日本語で連呼して、
日本じゃ放送禁止になったとか。
(ラジオなんかで軽々しく
「臨時ニュース」って言っちゃダメなんだって)
ドナルド・ローザー。
70年代のウエスト・コーストの音楽シーンを
ボロカスに言ってたっけ。
ドゥビーとかイーグルスあたり。
アサイラム系のミュージシャン含めて。