涼風文庫堂の「文庫おでっせい」432 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<高見順、

椎名麟三、

永井龍男>

 
 

1300「如何なる星の下に」

高見順
長編   北原武夫:解説  新潮文庫
 
 
日中戦争がすでに泥沼状態に陥った昭和の暗黒時代、
著者はひとり浅草の安アパートに間借りして、
人生の裏街に落ちるところまで落ち、
なおかつ生きようとする浅草人の哀歓を
風俗的に写しとった。
 
著者にとって浅草は憎みまた愛さずにはいられない、
一個の性格上の肉親であり、
病人が同病者の苦痛を見て惹かれる
切実な哀しみにも似た愛情が、
あらたな浅草の顔を描かせたのである。
 
                        <ウラスジ>
 
 
昭和初期、浅草を舞台にした、
”私” と三人の女性、
そして顔見知りの ”成功してない人物” との
交流・しがらみをちょっとユーモラスに描いた作品。
 
いきなり
今流行の「推し活」みたいな話が出て来て、
ああ、昔も今もアイドル(この作品では ”レヴィウの踊子”)
に対する関係性は変わっていないなあ、って感じ。
 
で登場する三人の女性の関係性、
男と出奔してここにはいない 
”私” の女房含めて,、あれやこれや
 
 
<余談 1の1>
高見順といったらこの作品のほかに、
かなり分厚くて、ちょっと気になるタイトルの作品、
『いやな感じ』
が存在します。
 
角川文庫だったかな。
 
テロリストでアナーキストの加柴四郎を主人公に
近代伝奇小説” のような装いを持つ逸品、
とは聞いているんですが、
如何せん読んでないし持ってもいないので……。
 
あちらこちらに立ちこめる<キナ臭い匂い>を、
あまねく網羅したような、『いやな感じ』――。
 
ある人々にとっては今こそが
そう感じる時代なのかもしれません。
 
<余談 1の2>
当時、1970年か80年当時(あいまい)。
角川文庫で、
その分厚さから威容を放っていた文庫は
 
『いやな感じ』 高見順
以外に
 
『大風呂敷』 杉森久英
『聊斎志異』全四巻 蒲松齢
『ギリシア・ローマ神話』 ブルフィンチ
 
なんかが存在していました。
 
この手の分厚い一巻本を専門に読むような輩が
友人にいまして、いつも休み時間に、
机の上に立てて(重いので)読んでいました。
 
その後の読書傾向なんかは知らないんですが、
京極さんの文庫なんかにも飛びついたんだろうな……。
 
1000ページ越え。
 
<余談 2>
娘の
高見恭子さん。
 
いっときは
阿川佐和子さんとか檀ふみさんとかと
同じ様に<文豪の令嬢>としてタレント活動をなさっていました。
 
その露出が減ったのはやはりご主人の
馳浩・石川県知事の妻となった事もあるからでしょう。
 
 
馳浩・選手。
アマレスのオリンピック代表で、
高校の国語教師(体育じゃないところが渋い)、
のちにプロレスラーとなる。
(長髪・口ひげ・黄色いトランクス、という印象)
 
そして、
参議院議員、衆議院議員、と来て文科省大臣となり、
石川県知事となる。
 
 
知事になってからもリングに上がってたっけ……。
 
ノーザンライト・スープレックスの創始者。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1301「重き流れの中に」

椎名麟三
短編集   中野好夫:解説  新潮文庫
収録作品
 
1.深夜の酒宴
2.重き流れの中に
3.深尾正治の手記
 
 
敗戦直後の混乱期に
『深夜の酒宴』
で登場した椎名麟三は、
たちまち異常な注目を浴びた。
 
つづいて発表された
『重き流れの中に』
はその文壇的地位を確定的とし、
『深尾正治の手記』
こうした一時期の彼の文学の総決算をなすものだった。
 
これらの作品は、
貧困と無知にとりかこまれ
生の不安と実存の重荷に呪縛されながら
その重さに堪えている、
戦後世代に必然的に生れた文学といえる。
 
                        <ウラスジ>
 
 
椎名麟三・初登場、
及び、個人的な拘泥に関してのいきさつはこちら。
 
 
 
『深夜の酒宴』
 
「朝、僕は雨でも降っているような音で眼が覚めるのだ。」
 
この文章で始まる、
明らかな戦後の文学のお披露目。
 
文末の、
「のだ」「なのだ」の多用が、
旧世代にはどう受け取られたのでしょう。
 
『重き流れの中に』
 
「夕方、僕は疲れ果てて会社から帰って来るのだ。」
 
で始まり、
 
最後の方で、
 
「勿論、これは愚劣な、
飽くことなく繰り返される日常的な行事に過ぎない。
しかし何故僕はわざわざ愚劣なと断るのだろう。
 
愚劣というのは、
人類の救済に関して無意味であるということではないか。
しかし人類には運命がある限り救済はないのだ。
つまり一切が愚劣なのだ。」
 
……「終わりなき日常」。
先頃話題になった宮台真司教授が若い頃
よく口にしていた言葉ですね。
 
これも「鬱々とした若者」を探る、
一つのキーワードとなっていました。
 
も一つ。
共産主義とキリスト教がなにげに融合したような
文章に取れるような。
 
『深尾正治の手記』
 
「この手記は、獄死した友人のノートの一部分で、
そのノートは、彼が最後に検挙された当時の
警察署の特高がもっていたものである。
勿論その時彼は、共産党員として検挙されたのだ。」
 
で始まり、
 
最後近くの、
 
「共産党万歳!」
 
が象徴となってしまうような作品です。
 
 
<余談>
「共産党万歳!」
……テレビで文字通りこう叫んで、
すべてのテレビから干された名司会者がいましたね。
 
前田武彦さん。
 
 
『夜のヒットスタジオ』における、
共産党へのエール。
 
 
『巨泉×前武 ゲバゲバ90分!』
 
をはじめ、前武さんの番組は結構観てたんだけど。
 
 
 

1302「 青 梅 雨 」

永井龍男
短編集   河盛好蔵:解説  新潮文庫
収録作品
 
1.狐
2.そばやまで
3.枯芝
4.名刺
5.電報
6.私の眼
7.快晴
8.灯
9.蜜柑
10.一個
11.しりとりあそび
12.冬の日
13.青梅雨
 
 
事業に失敗した一家が、
服毒心中を決意するが、
冷たい雨のそぼ降る決行の宵、
それぞれの心に悲壮な覚悟をひめながらも、
やさしくかばい合う家族の心情を描いた
『青梅雨』。
 
肉親の絆のはかなさ、もろさというものを
巧みに暗示した
『冬の日』。
 
他に
『枯芝』『一個』など繊細な感覚で、
鋭利に切り取られた人生の断面を
彫琢を極めた文章で鮮やかに捉えた
永井文学の精髄を収める。
 
                        <ウラスジ>
 
『青梅雨』
やはりこの表題作を取り上げさせていただきます。
 
出だしが(椎名麟三を引きずってる……)、
 
十九日午後二時ごろ、神奈川県F市F八三八
無職太田千三さん(七七)方で、
太田と妻のひでさん(六七)
養女の春枝さん(五一)
ひでさんの実姉林ゆきさん(七二)の四人が、
自宅六畳間のふとんの中で死んでいるのを、
親類の同所一八四九雑貨商梅本貞吉さんがみつけ、
F署に届けた。
 
 
なにやら宮部みゆきさんを思わせるような
事件性の高い書き出しです。
 
 
<余談>
わたしの個人的な印象としては、
 
短編の名手にして、
芥川賞選考委員。
 
に尽きると思います。
 
1976年上半期、村上龍さんの
『限りなく透明に近いブルー』
が芥川賞を受賞した祭の反対意見。
 
<老婆心>
という言葉に不服の意を込めて、
選評を書いておられました。
 
で、一年後の1977年の上半期。
 
池田満寿夫さんの
『エーゲ海に捧ぐ』
の受賞の際には、
「これは文学ではない」
との言葉を残し、
選考委員を降りられました。
 
「ポルノ」
って言葉も彷徨っていたような。
 
……まあ、映画化された時の主演女優が
イタリアのポルノ女優(ハードコア!)
”チッチョリーナ” だからな……。
 
 
<側道>
しかし――
吉行淳之介、安岡章太郎、井上靖、中村光夫、
丹羽文雄、永井龍男、滝井孝作――
 
この面子の時に村上龍さん、
よく受賞にまで漕ぎつけたもんだなあ……。
 
<追記>
こうなると、
『回想の芥川・直木賞』
が俄然、読みたくなってきちゃった。