涼風文庫堂の「文庫おでっせい」  334. | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<ゴーゴリ、

トルストイ>

 

1015.「死せる魂」 (上)

ニコライ・ワシリーエヴィチ・
ゴーゴリ
長編   中村融:訳  新潮文庫
 
 
 
農奴制度下の帝政ロシアで、
農奴戸籍調査の盲点をついた狡猾な詐欺師チーチコフ。
 
彼は死亡したり逃亡したりして実在しない農奴の名義を
地主から買い取り、
それを担保に銀行から大金を借り出そうとする……。
 
チーチコフがその遍歴の途上で出会った
様々な地主の生活と性格とを克明に描き、
闇のロシアにうごめく彼ら ”死せる魂” の生態を
痛烈に批判した諷刺文学の傑作。
 
                        <ウラスジ>
 
 
 

1016.「死せる魂」 (下)

ニコライ・ワシリーエヴィチ・
ゴーゴリ
長編   中村融:訳  新潮文庫
 
 
ダンテの 『神曲』 に擬した壮大な意図のもとに
構築された長編叙事詩 『死せる魂』 ――
 
第一部は人類の醜悪な実態を冷徹なリアリズムで描写し、
第二部はその贖罪と浄化の過程を描き、
第三部では人類救済の一大文学塔を建設するはずであった……。
 
幻覚と狂信による錯乱状態の苦しみの中で綴られ、
著者の死によって永久に中断された第二部は、
ゴーゴリの思想と苦悩の痛々しい形見である。
 
                        <ウラスジ>
 
副題は、
――チーチコフの道中奇譚――
おまけに(長編叙事詩)とふってある。
 
とは言え、
まずは短編から。
 
 
まず、この作品の根幹をなす、
当時のロシア事情を ”あとがき” から
抜萃しておきます。
 
 
農奴制度下の帝政ロシアにあっては
地主はもちろん農奴をかかえていたわけで、
その農奴にたいしては地主に人頭税がかけられていた。
そしてそのための農奴戸籍調査は
七年から十年目ごとに行われていた。
 
したがって、
たとえば病死とか、逃亡とかの理由で
実際には地主のもとにいなくなった農奴も
戸籍上の上ではつぎの調査までは
生きているものとされていた。
 
農奴はもちろん売買が許されている。
 
そこで狡猾な本編の主人公チーチコフは、
そのような「戸籍面では存在している農奴」を
各地の地主からただ同様に譲り受け、
名義上は大勢の農奴をかかえた地主になって、
登記したその農奴(もちろん実在はしていない)を
担保に銀行から大金を借りだしてやろう、
ともくろむのである。
 
地主側にしてみれば、
税金の負担はなくなるし、
おまけに登記料は先方持ちだし、
さらにいくらかの金までくれてひきとろう、
というのだから大喜びするはずだった。
 
こうして主人公のチーチコフは
疫病や災害などの発生してなるべく多くの農奴が
死亡・逃亡したような地方をねらって、
その買い集めに出かけるのである。
 
                 <中村融:あとがきより>
 
 
言って見りゃ、
詐欺師のロードムービーと言えなくもない。
 
 
そして行く先々で出会う地主たちが……
 
甘ったるいお人好しの感傷家で
およそ現実ばなれのした夢想のなかに生きている
マニーロフ
 
愚痴っぽく、迷信ぶかく、
けちで意地っぱりの女地主カローボチカ
 
ほら吹きで、カルタ・馬・犬・馬車となんでも
賭けの対象にするがさつな乱暴者ノズドリョフ
 
道ばたに落ちている釘一本、ぼろ一つでも見のがさずに、
その通ったあとはなめたようにきれいになるという
ケチの権化のようなプリュ―シキン
 
熊のように鈍重、粗暴で、大食漢で、毒舌家の
サバケーヴィッチ
 
これらの人物というのが、つまり―――
 
およそ理性とか分別とかいうものは薬にしたくない
文字通り闇のロシアにうごめくおそろしいまでに
非人間的な地主たちの醜悪な生態であり、
農奴制度下であらゆる人間性を喪失した
『死せる魂』 なのである。
 
理知の光をさえぎられ、
人間らしい「魂」を失って、
本能だけをむきだしにしたまま
堕ちられるかぎり堕ちた非人間的な人間の姿、
――それが作者の描きだそうとした対象だったのである。
 
                 <中村融:あとがきより>
 
行き会う人物は ”しかばね” 同然。
 
行って見れば、
こりゃ<地獄巡り>みたいなもの。
 
『神曲』 になぞらえるのもご納得。
チーチコフが、
ダンテとヴェルギリウスを兼ねているのか。
 
あと、
<地獄巡り>と言うと、
米朝師匠の十八番のひとつ、
『地獄八景亡者戯』(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)
を思い出す。
 
 
 
<余談 1>
ゴーゴリが、先達プーシキンの決闘死にショックを受けて
しばらく何もできなかったってのは知る人ぞ知る。
 
プーシキンの死以前に書き始めた 『死せる魂』、
その続きが、宗教的なものに<方向転換>したのは
この辺の事情もあるのかも。
 
<余談 2>
直近で読んだゴーゴリは岩波文庫の、
『イワーン・イワーノウィッチと
イワーン・ニキーフォロウィッチとが喧嘩をした話』。
 
題名からして、やっちゃってる。
 
ゴーゴリというとこんな感じのユーモア作品と、
『ヴィイ』
(映画化名は 『妖婆・死棺の呪い』、もしくは 『魔女伝説ヴィー』)
みたいな土着的な怪奇ものを想起します。
(この映画は、『怪奇小説傑作集』 あたりで紹介します)
 
『外套』 とか 『鼻』 とか 『肖像画』 も怪談だし。
 
『ディカーニカ近郷夜話』
上下巻で岩波文庫から出てたんだよな……。
 
<余談 3>
 
ゴーゴリはウクライナ人です
 
 
 
 
 
 
 

1017.「 復 活 」 (上)

レフ・トルストイ
長編   原久一郎:訳  新潮文庫
 
 
陪審員として裁判に出たネフリュードフ公爵は、
出廷した女囚を見て胸が騒いだ。
 
かつて自分が犯した娘カチューシャだったのである。
 
堕落した生活の果てに無実の罪で
シベリアへ送られ様としている女囚の姿に、
自らの罪過の結果を見た公爵は、
忽然として真の自己に目醒め、
彼女をも自分をも救おうと決意する……。
 
青年の日の乱脈な生活に深い改悟の気持をいだきつつ
綴った晩年の長編。
 
                        <ウラスジ>
 
 
 

1017.「 復 活 」 (下)

レフ・トルストイ
長編   原久一郎:訳  新潮文庫
 
 
シベリアへの長い道のりを、
ネフリュードフはひたすらカチューシャを追って進む。
 
彼の奔走は功を奏し、
判決取り消しの特赦が下りるが、
カチューシャは囚人隊で知り合った政治犯シモンソンとともに
さらに遠い旅を続ける決意を固めていた。
 
――帝政ロシアにおける裁判、教会、行政などの
不合理を大胆に摘発し、
権力の非人間的行為へ激しい抗議の叫びを浴びせる
人間トルストイの力作。
 
                        <ウラスジ>
 
♫ りんごの花ほころび
  川面にかすみたち
  君なき里にも
  春はしのびよりぬ ♫
 
カチューシャの唄。
 
松井須磨子。
島村抱月
芸術座。
スペイン風邪。
縊死(自殺)。
 
もとい。
 
最後、ネフリュードフとカチューシャはどうなるか。
 
独りよがりのありがた迷惑、
と言うと、身も蓋もありませんが、
実際の所、大仰に聞える題名も含めて、
ちょっと引いてしまうところがあります。
 
『復活』 って、カチューシャの?ネフリュードフの?
それとも二人まとめての?
 
で、最後に二人が対面するところからが、
宗教的浄化の見せ所。
 
開幕の見開きには、
マタイ伝、ヨハネ伝、ルカ伝からの抜粋があり、
それとなく匂わせてはありますが……。
 
原作の第三編・二八章、
つまり最終章には、
マタイ伝第十八章と第五章が書き連ねてあります。
 
十一、 蓋し、人の子は滅びたるものをたずね出し、
     これを救わんがために来れるなり。
 
その他もろもろ。
 
とは言え、ねえ。
 
似て非なるものと言われそうですが、
鏡花の 『義血侠血』 に横滑りしそうな話にも取れ、
こちらの方はすんなりと受け入れられます。
 
罪を犯した昔の愛人。
罪を犯した昔の恩人。
 
 
<余談>
あとがきで、
訳者の原久一郎氏(同じロシア文学者の原卓也氏のお父上)
が、学生時代に二人の友人と――
 
(カチューシャを通じて自分自身に対する、
霊たましいの救いに没入しているネフリュードフを、
いずれも要するに浅読みではあるが
三人三様に論じ合ったりしたことなどが、
甘い思い出として、今なお胸奧に残っている)
 
……かような具合に ”「復活」論議” に
講じておられたことが述べられています。
 
その中で私同様、”浅読み” の利点として、
例の<信長、秀吉、家康>の俳句を
どう当てはめるかを選択しておられたそうな。
 
曰く、
カチューシャを、
『斬って捨てよう、ほととぎす』
『啼かしてみよう、ほととぎす』
『啼くまで待とう、ほととぎす』
のどれにしようかと
談じておられたと言います。
 
私の場合だと、そのステージにまで行かないかも。
 
あわわわ。
 
 
 
 
 
【涼風映画堂の】
”読んでから見るか、見てから読むか”
 
 
◎「 復 活 」 We Live Again
1934年 (米)ユナイト/ゴールドウィン
製作:サミュエル・ゴールドウィン
 
監督:ルーベン・マムリーアン
脚本:マックスウェル・アンダーソン/レナード・プラスキンス/
    プレストン・スタージェス
撮影:グレッグ・トーランド
音楽:アルフレッド・ニューマン
原作:レフ・トルストイ
出演
アンナ・ステン
フレドリック・マーチ
ジェーン・バクスター
C・オーブリー・スミス
サム・ジャッフェ
 
 
* 原作に比して短めの85分の上映時間。
* ハリウッド版ダイジェスト編集映画。
* 駄作・凡作・批判の雨あられ。
 
* しかし思い返せば、あの
   『風と共に去りぬ』 もそう言われてたっけ。
 
* サミュエル・ゴールドウィン。
   ポーランド出身。
* MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)
   にその名を残す大プロデューサー。
 
* ルーベン・マムリーアン。
   グルジア(現・ジョージア)出身。
* 私にとってはタイロン・パワーの 『血と砂』 の監督。
 
* アンナ・ステン。
   ウクライナのキエフ(キーウ)出身。
* ゲイリー・クーパーと共演した 『結婚の夜』 を観てた。
* ”第二のガルボ” として売り出そうとしたらしいが、
   如何せん、特徴に乏しい。
 
* フレドリック・マーチ。
   1935年の 『アンナ・カレニナ』 では
   ヴロンスキーを演じてた。
   (アンナはガルボ)
* 実のところ、
   このフレドリック・マーチも私にとっての鬼門であり、
   今でも顔が覚えられない俳優の一人。
* というのも、初見が教養文庫の
   【世界映画俳優全史・男優編】 で、
   そこにあった写真が横顔だったから。
 
* これ、ジャン=ルイ・バローも同じ。
* 女優だとジーン・アーサー。
 
 
* とにかく不評たらたらのこの作品。
* この時代、ハリウッドが世界の名作を
   いかにこねくり回したかがよく判るシロモノ。
 
* よって、内容は保証しません。