涼風文庫堂の「文庫おでっせい」  174. | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<ハイネ、

ウォルター・ミラー、

ユイスマンス>

 
 

550.「ハイネ詩集」

ハインリッヒ・ハイネ
片山敏彦:訳  新潮文庫
 
美と愛情の朗らかな使者ハイネ。
だが彼はユダヤ系ドイツ人という宿命の星の下に生れ、
人類解放の旗手として、祖国を愛しながら
亡命先のパリに客死した薄幸の詩人であった。
 
甘味な歌に放浪者の苦味が加わり、
明澄さの中に幻滅や独特の皮肉の調子がまざる。
 
彼の代表的詩集 『歌の本』 『新詩集』 『物語詩集』 から、
悩みを秘めた純粋詩人ハイネの詩魂を伝える珠玉の作品を選んだ。
                                <ウラスジ>
 
 
          あした目覚めて
 
     あした目覚めてわれは問う、
     「恋しき人はこの日来るか」と。
     夕べ気落ちしてわれは嘆く、
     「かの人は今日も来らず」
 
     憂いの故に夜半も眠らず、
     真昼もなかば夢み心地に
     あてどなくわれはさまよう
 
 
          君が瞳を見るときは
 
     君が瞳を見るときは
     たちまち消ゆるわが憂い。
     君にくちづけするときは
     たちまち晴るるわが思い
 
     君がみむねに寄るときは
     天の悦びわれに湧き、
     君を慕うと告ぐるとき、
     涙はげしく流れ落ちたり。
 
 
          君は不幸に生きたまう
 
     君は不幸に生きたまう。われは怨まじ。
     恋びとよ、われら共に不幸に生くるさだめならん。
     死の来りて、病める心を噛み破るときまでは
     恋びとよ、おのがじし不幸に生くるさだめならん
 
     その口の辺にあざけりの笑い浮びて
     その眼ざしに驕慢の光は照りて、
     気味が胸、誇りのゆえに昻まれども、
     されど、君もまた不幸なり、われとおなじく。
 
     悲しみのそこはかと、その口の辺にうちふるえ
     眼のひかり、ひそかなる涙に曇り、
     誇らしき君がみ胸は、奥ふかく傷を抱けり――
     恋びとよ、おのがじし、不幸を耐えん!
 
 
”愛” を語る詩人ハイネの、<ウラスジ>にあるような、
アイロニーに満ちたものも。
 
 
          瞳はまるで碧い菫
 
     瞳はまるで碧い菫。
     頬はまるで紅い薔薇。
     手はまるで白百合の花。
     どの花も競うて咲いた。
     しかし――こころは腐っていた。
 
 
毛色の違ったこういう歌も。
 
 
          頭はからっぽ
 
     頭はからっぽ、胸は一杯。
     何を書いたらいいのかわからぬ。
 
     愛するドイツの神々に頼む、
     君の旅行にいいお天気を。
 
 
……病んでいたんでしょうね……。
 
 
 
 
 

551.「黙示録3174年」

ウォルター・ミラー
長編   吉田誠一:訳  池澤夏樹:解説
創元推理文庫
 
核兵器による第三次大戦は起こった。
 
その結果、知識文明は中世以前の段階にまで後退した。
 
このとき、リーボウィッツは文明の保存につとめ、
キリスト教の僧侶となって修道院を設立した。
 
それより数百年後、
物語は文明が廃墟の中から芽生えはじめた頃の修道院を舞台に
千年という歳月を単位にして、人類と文明の未来史を展開する。
 
人類に文明の再建は可能なのか?
文明は再び自滅することはないのか?
人類に未来はあるのか?
 
冷戦という異常事態に際して
アメリカの知性が生みだしたシリアスSFの傑作。
                                <ウラスジ>
 
 
掛け値なしの、SF界の<一発屋>、
ウォルター・ミラーの代表作です。
他に短編集が二冊あるらしいのですが……。
 
 
ある意味、本当の主役は、
<リーボウィッツ修道院>そのもの。
それと各部に顔を出す、”不死の老人”。
 
 
第一部 『人アレ』
核戦争後、600年。
主要人物は、修道僧フランシス・ジェラード。
リーボウィッツ修道院長は、ドン・アーコス。
 
第二部 『光アレ』
西暦3174年。
主要人物は、テクサーカナ国王とタデオ博士。
リーボウィッツ修道院長は、ドン・パウロ。
小国家の乱立から統一国家の出現。
平穏、平和の雲行きが怪しくなる。
 
第三部 『汝ガ意志ノママニ』
西暦3781年。
再び核戦争勃発。
リーボウィッツ修道院長は、ドン・ジェスラー・ザーチ。
星船で地球脱出。
 
 
およそ宗教的で、
およそペシミスティックな思考に捉われた
ストーリーとなっています。
 
1960年前後の核戦争に対する世相が反映されているのでしょう。
 
この後すぐに、<キューバ危機>だもんな――。
 
ミラーに限らず、多くのアメリカ人が第三次世界大戦を恐れ、
かつ起こり得る、と判断していたんでしょうね。
 
……この考えは、終末○○につながっていきます。
 
ということで、前回のお浚い。
 
SFと宗教の相性は良い。
 
 
 
 

552.「彼方」

ジョリ・カルル・ユイスマンス
長編   田辺貞之助:訳  創元推理文庫
 
 
中世の悪魔礼拝は滅びていなかった!
 
15世紀フランスの伝統的な悪魔主義の帝王ジル・ド・レー元帥。
 
彼が城内でもてあそび虐殺した小児の数は800人を下らないという。
死体美の品評会、屍骸を詰めた大樽。
恐怖におののく村人の前から次々に消えていった子供たち。
 
そして400年後の今、
元帥の一代記を執筆せんとする作家デュルタルの前で
くりひろげられる戦慄と陶酔に満ちた背徳の儀式、黒ミサ。
 
世紀末フランス耽美派の雄ユイスマンスが
オカルティズムの世界を自然主義手法で描いて
読者を震撼させる傑作。
                              <ウラスジ>
 
 
実のところ、この小説は二回読んだのですが、
なぜか頭には残っていないのです。
 
ユイスマンスのもう一つの代表作、
『さかしま』は、サッと脳裡に蘇えるのですが……。
 
と言っても、
『財産持ちのディレッタントが金にまかせて、
自分の好きな書籍や美術品を買い漁り、
その環境で悠々自適の生活を送っている』、
といった大まかな内容しか言えません。
 
ただ、はっきりと、『読んだ』、
という認識を与えてくれる作品でした。
 
では、『彼方』の方はどうなっているのか。
 
何度も申し上げますが、私の好きなジャンルは
<怪奇・幻想文学>です。
 
この文庫の<ウラスジ>を見るにつけ、
『悪魔礼拝』、『ジル・ド・レー』、『黒ミサ』、『オカルティズム』、
と、そそる言葉があげつらってあるので、
当然率先して読んだはずなんですが。
 
ううう、残ってない……。
 
物語の構成としては、
(当時の)現代に生きる作家デュルタルの身辺事情と、 
彼が目を通したジル・ド・レーの記録が交互に、
さしたる規則性もなく、綴られていきます。
 
ここでラスト近く、現代における ”黒ミサ” の儀式が
語られることになるのですが――
 
この部分で、はたと気付きました。
 
もともとゾラにくっついていたユイスマンスが、
現代の ”黒ミサ” を<ウラスジ>にあるように、
自然主義手法で語るとどうなるか。
 
それは同時代の、形骸化した黒ミサの儀式でしかありえません。
そこを煽情的な表現を排して、冷徹に書き写していくと――。
無味乾燥な子供じみたお遊戯にしか映らないのでは――?
 
儀式の手順や描写に問題はないでしょうが、
昔の再現、などとは程遠いし、
なんといっても、その場に溢れる熱量が伝わってきません。
 
エントロピーの問題。
恍惚と陶酔、薬物への依存、狂気……etc.
 
本来ならクライマックスになるべき場面が、淡々と描かれる。
 
しかし、そこ以外クライマックス候補が見当たらない。
インパクトのある個所が他にない。
 
で、『ここがクライマックスですよ』、って言われても――。
はあ?
 
 
よって、私の頭の中に棲みつかない。
 
こういう自己分析をしている時点で、『彼方』との相性が窺い知れます。
 
……あんまり宜しくないようで。