涼風文庫堂の「文庫おでっせい」  139. | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<ゲーテ、

スタインベック、

ルイス・キャロル>

 
 

437.「ヘルマンとドロテーア」

ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・
ゲーテ
長編   国松孝二:訳  新潮文庫
 
 
フランス革命に続く世界史の動乱期のある夏の日、
ライン地方をフランス軍に追われた避難民たちが通り過ぎてゆく。
彼らに救援物資を届けに行った富裕な市民の息子ヘルマンは、
そこで避難民の娘ドロテーアと出会う……。
新しい秩序をうちたて、平和な生活を建設しようとする若者を、
悠々たる余韻を響かせる叙事詩の中に描き、
「若きウェルテルの悩み」と並び称されるゲーテの名作。
                                <ウラスジ>
 
男女の名を冠した 『○○と○○』 では
初のハッピーエンド物語。
 
ヘルマンは結婚するつもりで、ドロテーアをまず家政婦として
招き入れます。
 
そして頃合いを見計らってプロポーズする。
二人はめでたく結婚する――。
と、いったストーリーです。
 
金持のボンボンが家政婦に手を出して妊娠させる、といった
お下品なお話ではありません。
……ハーディーの『テス』みたいな。
 
叙事詩とありますが、ひとりひとりの話(会話)が長いのは、
むしろ戯曲に近いような気がしました。
 
で、結構ページが文字で埋め尽くされています。
パッと見、読みにくそうですが、そこは<叙事詩>の ”詩文” 
ですので、難解なものではありません。
 
ただ、話に殆んど起伏はありませんが――。
とりあえず<はっぴいえんど>なんで、『良し』とします。
 
 
 
 

438.「怒りの葡萄」 (上)

ジョン・スタインベック
長編   大久保康雄:訳  新潮文庫
 
オクラホマの大平原を猛烈な砂嵐が吹き荒れ、
耕地は一夜にして荒野と化す。
 
血と汗で開墾した土地を、
天災と大資本とに奪われた農民たちは、
カリフォルニアを目指して、死活を賭けた大行進を開始する……。
 
ジョード一家に焦点をすえて、30年代アメリカの歴史的状況と、
その中に生きる民衆の姿とを描き、
旧訳聖書の「出埃及(エジプト)記」にも比べられる
格調高い一大叙事詩である。
                                 <ウラスジ>
 
 
 
 

439.「怒りの葡萄」 (下)

ジョン・スタインベック
長編   大久保康雄:訳  新潮文庫
 
カリフォルニアは各地から集まって来た農民に充ちていた。
不当に安い賃金、
百万エーカーを所有する一人の地主のために
十万の農民が飢える。
 
かくてこの広大な沃野に実を結んだのは、ほかならぬ 
”怒りの葡萄” であった――
 
数度の実地調査に基づく詳細なルポルタージュ的作品の内に、
強烈な社会意識と深い人間愛が脈うち、
息づまるような緊迫感のみなぎるピューリッツァー賞受賞作。
                               <ウラスジ>
 
 
アメリカの地図に詳しい人なら御存知でしょうが、オクラホマ州って、
『カリフォルニアに行け』って指差してるような形をしてますね。
          👈
 
1930年代に起きた ”ダストボウル”(砂嵐)は、
オクラホマだけでなく、その周辺のテキサス、カンザス、
ニューメキシコ、各州の農業も壊滅に追いやったとあります。
 
多くの農民がこの作品のジョード一家のように、
カリフォルニアを目指して移動した模様です。
 
アメリカのような広大な国土を誇る国ならではの、
<国内難民>と言えます。
しかも、都市部は都市部で、<大恐慌>の真っ最中。
 
この時期、アメリカ思想の傾向が、
個人主義から社会主義への方向を取り始めたと言います。
 
さて。
この作品の内容と、スタインベックが取った小説手法については、
翻訳者である大久保康雄さんのあとがきを
そのまま引用させていただきます。
 
何せ、一分の隙もない解説ですので……。
<剽窃>といっても構いません。
 
内容について。
 
『怒りの葡萄』は土地を失ったオクラホマの貧農家族の悲劇的な運命を描いた一大叙事詩である。
 
一九三三年からほぼ二年間、テキサスからカナダ国境にいたる
大平原には猛烈な砂嵐が吹き荒れた。
それはすべての耕地を一夜にして砂丘に変えてしまった。
 
この天災と、機械化された耕作会社のトラクターとに追われて、
オクラホマの貧農ジョード一家は、
祖父が手に入れ父が開いた土地を捨て、
宣伝ビラにつられて、西の方カリフォルニアへと移住して行く。
 
毛布と炊事道具だけを、半壊の古自動車に積み込み、
二千マイルもの行程を、山脈を越え、砂漠を横ぎって、
カリフォルニアにたどりつく。
 
しかしそのカリフォルニアも彼らを待ち受けた天国ではない。
すでにオーキーと蔑称される二十五万の土地を追われた
浮浪農民が各地から集まってきている。
 
労働力は過剰になり、賃金は使用者側の意のままに切り下げられる。
一家総出で終日休みなく働いても一回分の食事を賄うのが
精一杯である。
 
漠然と団結抗争の意識が彼らの中にうかびあがることもあるが、
それは直ちに「赤」とされて、
いっそう強い迫害がのしかかってくるばかりだ。
 
百万エーカーを所有する一人の地主のために
十万の農民が飢えた、と作者は書いている。
 
しかしこの飢えは、やがて次第に怒りに変ってゆく。
かくてカリフォルニアの沃野に実を結んだのは、
ほかならぬ「怒りの葡萄」であった――
というのがこの小説の荒筋である。
 
書き方について。
 
構成上からいっても、この小説には特異な形式が用いられている。
 
全三十章に分かれているのであるが、
そのうち奇数章は全部一種の中間章(inter₋chapter)として、
物語の筋とは独立に、その物語の背景を成す社会的条件、
あるいはその物語を必然ならしめている自然的、地理的諸条件を、
短い、極度に圧縮された形で、抽象的に語ることに費やされている。
 
そして筋の発展の叙述は、もっぱら偶数章にゆだねられ、
ここで人物や事件や行動が、直接的、具体的に語られるという
仕組みになっている。
 
文体から見ても、両者のあいだには著しい相違があり、
奇数章が、時として抒情的な調子にまで高められていることが
あるものの、多くは標準的な言葉による平叙文であるのに対し、
 
偶数章は会話が多く、それも方言俗語の類いを縦横に駆使する
ことによって、柔軟な、多彩な、どうかすると乱雑とも思えるまでに
変化に富んだスタイルをつくりあげているのである。
 
このを二つの<スタイル>が、どう響き合うか。
それをどう感じ取るのかは読者それぞれに
委ねられます。
 
 
あと、これまた多感な時期なので、ラストのそこそこ有名なシーン、
これは外せません。
 
餓死寸前の男に、子どもを死産した
『シャロンのバラ』が母乳を飲ませるところ。
 
男は、のろのろと首を横にふった。
『シャロンのバラ』は布団の片端を緩めて胸の乳房をあらわにした。
「そうしなくちゃいけないのよ」
と彼女は言った。
彼女は、体をもがくようにして、もっとそばへにじりより、
男の頭を引きよせた。
「そら!」
と彼女は言った。
「そらね」
彼女の手が男の頭のうしろに伸びて、それをささえた。
指が、優しく男の髪をまさぐった。
彼女は顔をあげて納屋のなかを見まわした。
唇はとじられて神秘な微笑を浮かべた。
 
 
悲惨な物語の最後の救済。
今読めば、神聖な雰囲気さえ感じるところなんですが……。
 
 
 
 

440.「不思議の国のアリス」

ルイス・キャロル
長編   福島正実:訳  角川文庫
 
ある昼さがり、アリスが土手で遊んでいると
チョッキを着た兎が時計を取り出しながら、
急ぎ足に通り過ぎ、生垣の下の穴にぴょんと飛び込みました。
アリスも続いて飛び込むと……。
 
この有名な出だしで始まる夢と幻想の世界のお話は、
チェシャ猫、気ちがい帽子屋、三月兎、ハートの女王等、
一癖あるものばかり登場して、
特に会話はイギリス人好みのユーモアにあふれている。
6歳から60歳までの広範囲にわたる読者層を持つ
世界児童文学の傑作。
                               <ウラスジ>
 
ええ~。
のっけから消極的な(?)物言いになりますが、
この『不思議の国のアリス』 と 『星の王子様』 は、
これだけ有名な、世界的な童話であるにも関わらず、
イマイチ内容を伝えるのが難しい。
 
まあアリスに関しては、兎穴に飛び込んでからの冒険譚、と言えなくもないでしょうが、それじゃ本質を見誤ることになりそうで……。
 
それなら、その<本質>とは何ぞや、と問われると、
それはそれで、厄介な話で……。
 
ざっくり言うと、
最後に登場する姉がちらと触れる、『少女の成長記』、
それに作者キャロルの言語遊戯、
この二つに集約されそうな……。
 
まあ、何といっても楽しい読み物であることは間違いありません。
 
逃げた。
 
 
 
【涼風映画堂の】
”読んでから見るか、見てから読むか”
 
 

 

◎「怒りの葡萄」 The Grapes of Wrath

1940年 (米)
監督:ジョン・フォード
脚本:ナナリー・ジョンソン
撮影:グレッグ・トーランド
音楽:アルフレッド・ニューマン
出演
ヘンリー・フォンダ
ジェーン・ダ―ウェル
ジョン・キャラダイン
チャーリー・グレイプウィン
ドリス・ボードン
 
 
*日本公開は1963年。
*何でも、占領軍がアメリカの『恥部』を晒すような映画を
 輸入させなかった、とのこと。
*同様のものに、『紳士同盟』、『オール・ザ・キングスメン』がある。
*それはさておき。
*巨匠ジョン・フォードのアカデミー作品賞受賞作。
*ナナリー・ジョンソンは監督もやるが、やはり脚本に徹していた方が
 よろしいのでは。
*オリヴィア・デ・ハヴィランドが双子を演じたスリラー、『暗い鏡』
 (ロバート・シオドマク監督)は面白かった。
*カメラマンのグレッグ・トーランドは、次ぐらいに登場する
 ウィリアム・ワイラー監督作品の常連。
*『市民ケーン』もこの人のカメラ。
*ニューマン・ファミリーの大御所、アルフレッド。
*『慕情』、『王様と私』の音楽監督ではありますが、残念ながら
 ”Love Is a Many-Splendored Thing” も ”Shall We Dance ?” も
 彼の楽曲ではありません。
*この映画の肝は、何と言ってもアカデミー助演女優賞に輝いた
 ジェーン・ダ―ウェルです。
*見るからに頼りになる、アメリカの<おっかさん>といった
 風情でした。
*ジム・ケイシーを演じたのはキャラダイン兄弟の親父さん、
 ジョン・キャラダイン。
*フォード作品からホラー物までこなす怪優でした。
*スコセッシの『明日に処刑を……』で、息子のデヴィッドと
 共演してたな。