また30冊終わって、180冊になったので。
<一般文学そろそろ小休止>
181.「ちりめんじゃこ」
長編 武蔵野次郎:解説 角川文庫
<掏摸>の物語です。
【彼の姓名は「平平平平」である。
間違っても「ヘイヘイヘイヘイ」とか「ヒラヒラヒラヒラ」と発音してはいけない。別にそう発音しても、彼は滅多に怒らないだろうが、いささか機嫌を損じる。
大阪府下、旧の南河内郡の役所の手垢にまみれた反故同然の謄本の何頁かには、ヒラダイラヘッペイと振仮名がうってある。
平平というだけでも可成り珍しい姓だが、これに平平と名付けた親父もなかなかのものである。】
こなれた調子で物語は始まります。
この60になる老掏摸のヒラやんと、掏摸係の老刑事で戦友でもあった船好との関係性を軸にして、互いの家庭環境などを絡ませたエンターテインメント、人情<悲喜劇>です。
話は当然、面白かったのですが、それとともに<掏摸の世界>についての記述が興味を惹きました。
「箱師」「平場師」などの分類用語から、「逆エンコ」なる技術、「サシ」「ナラビ」「肩越し」といった掏り取る相手との勝負用語まで、様々な<隠語>が登場します。
そして、掏摸の訓練、熱湯に手を入れる、皺のついたちり紙を重ねて真ん中へんから人差し指と中指ではさんで抜き取っていく――とりわけ<熱湯訓練>は反射神経と錯覚を利用した、極めて合理的な訓練法だと納得しました。
これがきっかけで「賭博と掏摸の研究」なる本を買い、『仕立て屋銀次』の物語を探すようになりました。
お話の最後は――侘しいものでした。
特にこの年齢になって読み返すと――。
182.「樹氷」
長編 川崎洋:解説 文春文庫
北急コンツェルンの御曹司・藤沢四郎、テレビマンの北沢健介、毎朝新聞の記者・黒田、大学時代同じスキー部に初軸していた男たちと、藤沢の秘書・宮井京子、テレビ・プロデューサーの江
見勇子と言った女性たち、そしてプロ・スキーヤーの秋山毅。
これらの人間が、政財界やスポーツ界の思惑を背景に、北国のレジャー開発という命題の中で絡み合う人間ドラマです。
<おれの城はどこだ!>
藤沢の心の叫びが最後にこだまします。
もう一つ印象に残ったシーンは、
「君の体を忘れないようによく見ておきたいんだ」
「一生忘れないように頭の中にきざみ込んでおくのさ」
という藤沢の言葉に、躊躇いながらもそれに応える京子の台詞です。
「見て下さい」
「一生忘れないように、よく見ておいてください」
なお、この小説はテレビドラマがきっかけで読んだものです。
ドラマの方は観ていませんが、田宮二郎さん、浅丘ルリ子さん、主演だったと思います。
183.「白い魔魚」
長編 井上友一郎:解説 新潮文庫
【若く美しいヒロイン綾瀬竜子は、行動力と知性に輝いて魔魚のように人の此処悪露を魅惑する近代女性。】
184.「献身」
長編 松本鶴雄:解説 新潮文庫
今度は700ページ近い大長編。
現実世界でもそうであったように、私の読書歴においても、<舟橋・丹羽>のお二方は張り合ってますねえ。
しかもこの時代における新潮文庫の丹羽作品のラインナップは、殆どが600ページ越えの分厚いものばかりでした。
そんな中で私がこの作品を選んだの――あはは、『樹氷』と同じくテレビドラマがきっかけです。
で、例によって、ドラマの方は観ていません。文庫の折り返しを見ると、山本陽子さん、近藤正臣さん、久富 惟晴さんらが出ていらしたようです。
【この小説は、一人の男を巡る四人の女たちという形式をとっている。
この男、一条英信は地方都市の名望家に生れ、一流大学出身で、頭脳は明晰、事業家タイプの辣腕家。
女が魂をうばわれても悔いることのない、いわば男性、女性、双方の願望を総合したかのような、この世の者とも思えぬ、いくぶん戯画化された存在として登場する。
さらにその上、彼は女性にワンマンぶりを発揮して、徹底的な献身を要求する。】
<松本鶴夫:解説>より
【妻子の他に年上の女まで持つ冷酷なエゴイスト一条英信の日陰妻として生きる朝子は、彼の子を身ごもったあとで正体を知った。
だが、彼女は身を退かなかった。
彼女のすなおさでもあった。
一条の起した事件で朝子は彼の友人・柏木を知り、誠意と愛情に魅かれる。
一人の男に仕えて献身的に生きようとしつつも初めて知った愛に心をひきさかれる女の哀しさを描く長編。】
<ウラスジ>全文
【子供っぽい表現を借りるとすれば、一条に関係したもの、一条の匂いのついているもの、一条のもっているものは、ことごとく自分の所有にしたい朝子の感情であった。】
<本編より>
う~ん。
面倒くさい筋書きだったなあ、と感じた事は覚えています。
ヒロインである朝子が他の愛人と一条の間に出来た子供をを引き取って育てていたり、他の愛人が離れて行くように画策したり、
「一条は悪人ではなくて、たんなるわがままものと思っています」
としているけど、そんなに甘っちょろいもんじゃないだろ、と。
「私は、一条の将来に絶望はしていません。だまされはしましたけど、
いくらもそれをとりかえすことはできると信じています」
少し打算めいた考えが入っているような。
で、そんな<悪人>ではないはずの一条が麻薬容疑で逮捕されます。
それまでの一条と朝子を含めた四人の女たちの行状や経緯の話から、現在進行の話にうって変わりますが……。
朝子と言うキャラも相当自己中心的で、達観しているのか、行動的なのか、はたまた悟っているのか、欲深いのか。
解説の松本鶴雄さんは一条英信に関して<戯画的>と仰っておられましたが、
この朝子という女性も充分すぎるほど<戯画的>だと思えます。
あと、丹羽文雄作品にといて大まかな感想を言わせていただけば、氏の宗教観から来る
<長い説話>を読んでいるような気がします。
ですから、退屈はしませんし、考えさせられる部分も少なくありません。
よって、うたかたのような小さなエピソードもおろそかに出来ないのです。
しかし、あれだけ分厚い小説をモノにしながら、これだけ面白く読ませる事が出来るのはさすがの力量、風俗小説の雄、と言ったところでしょうか。
だからこそ、逆に長い小説を発表し続ける事が出来たのでしょう。
185.「亀裂」
長編 十返肇:解説 新潮文庫
【現代の象徴ともみられる重く混沌とした ”亀裂の世界” に身を横たえようとしながら、決して亀裂それ自体にはなりえない学生作家・都筑明を中心に、亀裂の世界に棲む若いボクサー、女優、少年テロリスト、右翼のボス、殺し屋などの愛欲、権勢欲、物欲などを破格ともいえる文体で
描きながら異常に濃密な現実感によって広く共感をよんだ問題作。】
<ウラスジ>全文
【『亀裂』は、『太陽の季節』よりも、もっと作者自身の内面に密着しており、いわば一種の心境小説的な性格を露出している。】
【なにも主人公の都筑明(めい)が、石原氏とよく似た大学院在学中の新進作家であるからではなく、石原氏が、当時の環境の中で、時代の青年として、青春をどう生きようとするかが、鮮明にここに反映されているからである。】
【この小説は読者にとって恐らく読みづらい文章であろう。】
【この読みづらさの一因は、率直にいって作者の技術的未熟さによる。】
【しかし、それだけではない。都筑明が始終いらだっているように、作者自身もまたいらだっているからである。】
【石原氏は自己の焦燥を整理して表現しようとする余裕をもたない。】
【焦燥を焦燥のまま表現することによって、焦燥のリアリティを作品に生かそうとしているのだ。】
こっから先は私の中の『亀裂』と言えば――になります。
【階段を下りきってドアに手をかけたとき、頭の上でクラブの名を綴ったネオンが明滅しVの字が消えた。
「ついてるな」
明はふとかついだ。
が次の瞬間また彼は思った。
”何をつまらん” 】
あとは殺し屋の台詞、
【「貴方は小説家だそうだ。貴重で有益な殺人の体験が今出来ると言う訳だ。その理由がないだけに、貴方は後々苦しむことは無い筈です。
その拳銃は音を立てないし、幸いこの霧だ。
貴方はこの夢の中で、夢のように人を一人殺すことが出来るんだ。
恐らくこの人殺しは猫の子を殺すよりも罪悪にはならんでしょう。
拳銃は先の堀へ放り込んでしまえば良い――」
”これは一体何の罠なのか?”
明は思った。 】
そして、最後の数行、
【”出来損い奴!”
ボタンをを押し、自動装置のエレベーターが止った。
エレベーターが動き出す軽い失速感の瞬間、それ等怒りや憤りが軽い吐気となって宗を襲うのを明は感じたのだ、
明を乗せた鉄の箱は、遠く暗い奈落に重く鎖を引きずりながら、また、ゆっくりと下界へ降りて行った。 】
すいません。
この小説で憶えているのは、「ついてるな」の部分だけで、残りの二つは今回めくり直して思い出したものです。
全体的に説明をはぶいた文章が多くて、その事が却って作品全体を蔽う逼塞感を誘発しているような――。
行動的な<内向型青年>・都筑明の周辺に女優、ボクサー、右翼など、<石原慎太郎ファミリー>を配置し、それらしい話を進行させている――そんな印象でしょうか。
この作品ほどではないにしろ、近年読んだ「化石の森」にも似たようなものを感じました。