「ドラゴン~」の記事訂正。
三作を一本にしていませんでした。
オリジナル同様、これが一作目にあたるようです。
これはこれでビックリです。
こんなに長いのに、一本目だなんて!
端折り過ぎた印象を受けましたが、あれでOKみたいです。
フィンチャーが次回作に携わるかは不明ですが、あの路線で行かれると。。
気にはなりますが、多分一過性のものだと思います。
「ドラゴン~」の記事訂正。
三作を一本にしていませんでした。
オリジナル同様、これが一作目にあたるようです。
これはこれでビックリです。
こんなに長いのに、一本目だなんて!
端折り過ぎた印象を受けましたが、あれでOKみたいです。
フィンチャーが次回作に携わるかは不明ですが、あの路線で行かれると。。
気にはなりますが、多分一過性のものだと思います。
烏賀陽弘道著。
朝日新聞の記者時代にあった、ありえない事件の数々が記されている本でした。
もうビックリです。
日本のマスメディア(ここでは朝日新聞社だけですが)は、こうも腐っていたのかと。
2005年に出版されたこの本、現状は今現在もたいして変わってないでしょう。
最近、物事の発信力について悶々と考えを巡らしていたのですが、何となくおぼろげに掴めたような気がしています。
受け手が受け手でいつづけていては何も変わりはしないのではないのかと。
ニュースを見聞した時の、怒りや悲しみ、喜び、そんな感情を黙殺しないことなのかなと思っています。
その物事の理解ではなく、その時の感情を常に発信していること。
ニュースは常に発信しています。
一つのニュースに怒りを覚えたら、それに関するニュースにも怒りを覚えるはずです。
そしたら何で怒りを覚えてしまうのかを考えるはずです。
上手くいけば、ことの理不尽さを理解できてしまうかもしれません。
上手く説明できてないですが、「ふーん」で終わらせないということです。
もちろん全てのニュースに触手を伸ばすことは出来ないですから、十人十色の発信力があっていいと思うんです。
そんな小さな発信力を束ねていって、互いに補完できるようになれば、何か大きなものになるんじゃないかな。
一介の記者が世界を変えてくれるわけがありません。
ただの仕事、他の経済活動と一緒なんですから。
100%やってくれるだろうなんて思っちゃダメなんですね。
かなりめんどくさいことだろうと思います。
途中であきらめたくなることもあるかと思います。
そしたら、最初に触れた感情を呼び起こせばいいんだと思います。
う~ん、ryodanの言わんとしてることが少しでも分かってもらえたら幸いです。
核兵器不使用の共同声明に日本が署名しなかったと、昨日知りました。
追加情報によれば、前回も署名しなかったらしいですね。
今回は、「いかなる状況下でも」いう文言が気に入らなかったとか。
ryodanの抱く国家像が、どんどん離れていくのに滅入るばかりです。
普通、原爆二回も落とされたら、わかるでしょ?
今風に言えば、「空気読めよ」です。
どんな空気?
爆発の中で亡くなっていった人達への「尊崇の念」、今でも原爆症に悩む人達や、尊い命を奪われた犠牲者の親族たちなどへの悔恨の念じゃないのかな。
この件に関して、某アンカーマンはコメントなしでした。
それにも残念。
最近の自分。
おおむね調子がイイです。
クスリが減らないのは、この状態を維持していきたいという主治医の考えだと思います。
自分の力で元気になっているのではないので、悔しい部分もあります。
自分の人生に、この病気が組み込まれている状況は、歯がゆいもんです。
まぁ、これも昔のいろんなものの代償なんでしょう。
大事小事、いろいろ悩みがありますが、もともと小さい人間なんで。(笑)
たまにはプライベートなことでもイイでしょ。
遡ること数ヶ月前、ある出来事がきっかけで、仕事に対して気持ちが冷めてしまいました。
今思えば、偏り過ぎていた情熱にブレーキをかけた様な感じで、冷静になったということでしょうか。
自分が、この職場で求めているものは何か、求められているものは何か。
これを踏まえたうえで、もっと向上できるようになりたいです。
位置関係も中間職なんで、それぞれの”クダラナイプライド”の主張に付き合わされているので、ほとほとウンザリです。