【70年前の予言書的中】ブラッドベリ漫画「華氏451度」本を読むことも持つことも禁じられた社会 | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

焚書を描き、過去には映画化もされている有名作家ブラッドベリ氏の名作らしく、小説は読んだことがなく漫画を手にしましたが、現在の世界情勢と見事にマッチしていて読みながら、日々テレビで流される莫大な情報量(しかもその多くは統制された情報)に押し潰され、時間に追われ、死んだ魚のような目をしながら生活している人々、そしてテクノロジーの発展によって益々、思考力は奪われ、何の疑問ももたない世の中へ。何もかも短縮され、深い洞察もできず、ただ黙ってテレビの誘導に、つき従うのみ。

この作品は「自分の頭で考え、危険を察知し、自身の信じる正義を貫くことの勇気、違和感を放置せず、実際に行動することの大切さ」を教えてくれます。とくに大阪は維新信奉者だらけで、この物語が現実化していると感じます。

少しご紹介させていただきます。気になった方は是非お買い求めください。


アメリカで「SF界の抒情詩人」と讃えられた作家、レイ・ブラッドベリが1953年に発表した小説『華氏451度』。本は有害な情報を市民にもたらすとして、読むことも持つことも禁じられた近未来の社会が舞台となっている。華氏451度とは、紙が自然発火する温度を示している。主人公のガイ・モンターグは〈ファイアマン〉として本を焼き払い、市民の安全を守る仕事に誇りを持っていた。

ある日、風変わりな少女と出会い、「本には本当に価値がないのだろうか」という疑問が芽ばえてくる。近づく戦争にも関心を示さず、〈壁〉に設置されたテレビから流れてくる刺激的な映像に楽しみを見出す「考えることをやめた」社会が本当にすぐれているのか。彼は公園で出会った老人と共に反撃の狼煙をあげようと一つの計画を企てるのだが──。

難解な書物が敬遠され、刺激的な映像を流すテレビに思考能力を奪われている大衆社会、という設定はまさに現代社会の暗喩。70年前に書かれたものとは思えない痛烈な諷刺精神に驚かされます。

『以前はここ、そこ、いたるところに、それなりの人数の本好きがいた。人と違っていても許されるだけの余裕があった時代だ。世界もまた広かったしな。ところが世界は目や肘や口に満たされ、人口は4倍に増えた。映画やラジオや雑誌や本はレベルが下がって、低俗なものになった。まるで練り粉の駄菓子だ。想像したまえ。19世紀の人間は、馬や犬や猫を連れて、スローモーションの暮らしをしていた。20世紀はフィルムの早回しで、何かと忙しい。圧縮、要約。何もかもがたちまち結末を迎える。古典は2分で読める読書コラムの長さにまで切り詰められる。』


『政治?新聞1つの欄に文が2つだけ。万人向けのスポーツ記事なら紙面に満載。チーム・スピリット、娯楽。ものを考える必要はないだろう?究極のスポーツ番組を作れ。いくつも、いくつも、いくつも組織しろ。心の許容量はどんどん減っていく。

ハイウェイは車だらけで、みんなどこかへ行っているが、どこにも行っていない。ガソリン難民が生まれる。次は、我らが文明における少数派に目を向ける。愛犬家、愛猫家、医者、モルモン教徒、スウェーデン人、ブルックリン子、メキシコ移民。そういった連中の足を踏んじゃだめだ。自分のマーケットを大きくしたければ、喧嘩は避けるべし。肝に銘じておけ!

物書きたちよ、邪悪な思想に満ちた者達よ、タイプライターに鍵をかけよ。奴らは本当にそうした。雑誌は平凡な1杯のヴァニラ・タピオカになった。インテリ気取りのクソ批評家曰く、本は流し台の汚れ水であり、売れなくなったのも当然である。大衆は自分の好みをよく知っていて、漫画本は手放さなかった。』



『もちろん3Dセックス雑誌も好きだがね。これでわかっただろう、モンターグ。これは政府が押しつけてきたことではない。声明も出さなかったし、布告もなかった。こうなったのはテクノロジーと、大衆搾取と、少数派の圧力のせいだ。触るな!おかげで今はみんないつだって幸せに暮らすことができる。でも、ファイアマンの職務とどんな関係が?子供の頃、君のクラスにも、飛びぬけて賢い子がいただろう。暗唱するのも答えるのも大概はその子。他の生徒は何もしないで、その子を憎んでいる。』


『放課後に殴られたり、いじめられたりするのは、そんな優等生だったよな。そういうもんなんだよ。人間は自由で平等な存在として生まれてくるわけではない。憲法はそう謳っているがね。結局は、みんな平等にさせられるんだ。

誰もがみんな他人に似せて創られていれば、みんな幸せだ。だからだよ!隣の家に本が1冊あったら、それは弾丸が入った銃が1つあるのと同じだ。燃やせ!その銃で撃たれてしまう。本を沢山読んできた男が、誰を次の標的にするか、わかったもんじゃない。

俺なら、そう考えると、1分も耐えられん。この国で俺達が欲しがっているものはなんだ?人は幸せになりたがっている。そうだろう?人生の目的はただひとつ、そのことだけだ。違うかね?快楽と快い刺激を追求すること。』



『隣の家の女の子がいたんです。今はいなくなりました。死んだと思います。あの子は人と違っていました。どうして・・・どうしてあんな風になってしまったんでしょう。』

『クラリス・マクレランだろう?あの家族の記録は署にある。慎重に監視を続けてきた。遺伝と環境のせいだよ。笑わせるじゃないか。たかが数年で異分子をみんな処分することはできない。あの子か?あれは時限爆弾だ。物事がどうやって進められるかではなく、なぜそうなるか、ということばかり知りたがる。何に対してもなぜ?ばかり口にしていると、最後には不幸のどん底に叩き落される。あのかわいそうな少女は死んだ方が良かったのさ。』

『ええ、死んだほうが・・・』

『忘れるなよ、モンターグ。我々は〈幸せを売る男達〉だ。みんなを不幸せにしようと、反社会的な理論や思想を振りかざす奴らがいる。そいつらが、小さな波になって押し寄せてくるのを、体を張って止めるのが仕事だ。』


『最後にもうひとつ。この仕事をやっていると、誰もが妙な気を起こす。本が何を語ってくれるのか、それが気になってくる。』

『では、ファイアマンが特別な意図もなく、たまたま本を家に持ち帰ったらどうなります?』

『でもな、モンターグ、正直に言うが、俺だって何冊か読んだことがある。自分の仕事を知るためにな。だが、本は何も語らない!自然調整というやつだ。24時間は持っていてもいい。その期間内に自分で燃やさなかったら、俺達が出動して代わりに燃やすだけだ。』

『ベイティの話、聞いてたか?あいつは何を訊いても答えてくれる。楽しけりゃそれでいいんだとさ。』


『それなのに僕は、ここにいながら、心の中でこう言ってる。俺は幸せだはない、俺は幸せではない。ごめんよ、何の考えもなしに、こんなことをやらかした。どうやら、君まで巻き込んでしまったようだ。』

彼女は1冊つかみ、台所の焼却炉に向かって駆けていった。

『やめろ、ミリー・・・駄目だ!待ってくれ!』


『欠けているものは3つある。その1。このような本がなぜ重要かわかるかね?それは優れているからだ。この場合、優れているとはどういう意味か?私に言わせれば、質感があるということだ。この本には毛穴がある。顔がある。

細部、生々しい細部。優れた作家はしばしば命に触れる。本が憎まれ、恐れられているのはなぜだと思う?命の顔の毛穴を見せるからだ。我々が生きているのは、花が花を養分にして生きようとする時代だ。たっぶり雨が降る肥沃な黒土で育つのではない。花火でさえ、あんなに美しいのに、もとはといえば大地由来の化学物質ではないか。

それなのに、なぜか我々は花や花火を養分に育っていけると考えている。そうではなく、ぐるりと円を描いて、地に足を着けることがまず大切だ。』



『2つ目は?』

『余暇だ。休み時間ならあるだろうが、考える時間はあるかね?時速160キロで車を飛ばせば、危険以外のことは何も考えられない。そうでなければ、何かゲームをやっているか、壁四面にテレビがある部屋にこもっているかだ。テレビとは議論できない。』

『なぜです?』

『テレビは〈現実〉だ。五感に直接訴えてくるし、広がりもある。何を考えるべきか、人に教えてくれる。しかもそれを押し付けてくる。あっという間にテレビなりの結論に人を導き、人の心が「そんなバカな!」と抗議する暇を与えない。

『〈家族〉だけが〈人間〉で、本は〈現実〉じゃないと妻は言うんです。』

『3つ目の欠けたものが我々に与えられたらな。つまり、行動する権利だ。最初の2つのものの相互作用から学んで、それに基づいた行動を起こす。しかし、まあ、こんな老いぼれと幻滅したファイアマンに何ができるやら。そもそもゲームはもう終盤に差しかかっている。』
   

映画『華氏451(2018)』


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