【終戦の日を迎えて】私達の祖国、日本~人間はすべて生かされて生きている~ | 中谷良子の落書き帳

中谷良子の落書き帳

核武装・スパイ防止法の実現を

日本の母、最期の大和撫子、曽野綾子氏が教えてくださる日本人としての生き方、人生観。もちろんこの世代の方と現代の日本人とは価値観の乖離もありますが、今を生きる日本人だからこそ学ばなければならない先人の生きる姿勢、知の結集があります。

終戦の日に考えねばならないこと。それは今、日本人自身が「日本人とは何か?」そのルーツを再確認し、生き方を見直すべき時代に突入していると思います。赤化し、西洋化し、色欲に耽る隣国の狂った文化に汚染されてしまった日本人の脳内を激変させることは不可能に近いかもしれませんが、現代を生きる日本人が忘れている日本人としての誇り、精神性を呼び戻す一助になれば幸いです。

お盆は靖国、護国神社に参拝するだけでなく、先祖のお墓参りもきちんとしましょう。先祖を敬うことなく、放置し続けるような家庭には繁栄はありません。

首相は堂々と参拝しない、韓国は閣僚の靖国参拝に遺憾砲、中国は抗議、いいかげん媚びへつらうのをやめ、自立の道を進んでください!祖国日本、先人をないがしろにし、外国をもてはやすような国に未来はありません。私達1人1人が日本人としての意識を常に持ち、行動に移すことを大切にしたいですね。


★私達の祖国、日本~人間はすべて生かされて生きている~★

近年、日本の教育の荒廃は、見過ごせないものがある。子供はひ弱で欲望を抑えきれず、子供を育てるべき大人自身が、しっかりと地に足を着けて人生を見ることなく、功利的(※物事を行なう際に、利益、効果が上がるかどうかを中心に考えるさま。)な価値観や単純な正義感、時には虚構の世界(ヴァーチャル・リアリティー)で人生を知っている、と勘違いするようになった。

その背景には、物質的豊かさと、半世紀以上も続いた平和があった。

日本は世界でも有数の、長期の平和と物質的豊かさを誇ることのできる国になったが、その目的に到達すると共に、自身で考える力、苦しみに耐える力、人間社会の必然と明暗を、善悪を超えて冷静に正視する力を失った。

情報の豊かさは開かれた社会には不可欠のものであるが、同時に人は情報の波に溺れて、自らの存在を留めるべき錨(いかり)を失った。経済の発展と共に、人間性を伸ばすことはそれほど困難な事だったのだろうか。すべてはまことに皮肉な結果であった。同時にすべて想像されうる変化でもあった。

戦後教育の危険性は、はるか以前から意識されていたが、ここへ来て、教育の欠陥の病状は俄かに明らかになった。戦後教育は、人間が希求するものと、現実の姿を混同した。私達は自由を求めるが、しかし人間が完全な自由を得るということは至難の業である。私達は平等を願うが、人間は生まれた瞬間から、平等ではない。運命においても才能においても生まれた土地においても、私達は決して平等たり得ない。


しかし私達が自由と平等を、永遠の悲願として持ち続けることは、当然である。私達は偶然、日本を祖国として生を受け、その伝統を血流の中に受け、それぞれの家族に育まれ、異なった才能を受けて生きてきた。その歴史を持たない個人はなく、その個性を有しない人もいない。それはまさに2つとない人生であり、存在である。

教育はその貴重な固有の生を育て、花を咲かせる以外、最も見事な収穫を得る方法はない。実に私達は、現実の只中に常に生きているのである。そこには限りなく善と悪と中間に位置する人生が展開するだけである。ゆえにこの瞬間に、悪の姿が見えても、私達は絶望する必要もなく、次の瞬間に善の輝きが見えても安心することはできない。

その葛藤の狭間に、私達は育ち生きるのである。

私達はただ目の前に存在する子供を、あるがままにいとおしむ。母は幼児の間、常に子供を抱きしめることが自然である。やがて母は目の届く範囲で、子供を自由に放ち、しかしじっと見守り、初歩的な生きる技術とルールを教える。そこで、子供は初めて厳しい人生を味わう。やがてさらに成長すると、母は子供を意識的に離し、その子供の全人格をかけた自由な決定を承認する。

教育という川の流れの、最初の水源の清冽な一滴となり得るのは、家庭教育である。

学齢期までの子供の躾は父母の責任と楽しみであり、小学校入学までに、既に基礎的訓練を終えて社会に出すのが任務である。即ち、家庭においては父や母の愛と庇護とその決定権のもとに置き、団体行動に従えること、挨拶ができること、単純な善意をわきまえること、我慢することなどの基礎的訓練を終えることとし、それが不可能な子供に対しては父母だけに任せず社会の叡智を集めて外部から助けるべきである。

なぜなら子供は、一軒の家庭の子供であると同時に、人類共通の希望だからである。

通常、子供は褒められることと、叱られることとの、双方に親の愛情を感じる。褒められるばかりの子供は、しばしば叱られるために悪いことをするようにさえなる。しかし叱る場合にも、親は心理的余裕と、その教育的効果を落ち着いて判断できる状態にいなければならない。

また子供は、父と母を本当は尊敬したいのである。ゆえに父が直面している生活の厳しさ、その成功例と不成功例は、共にたいていの子供が深く愛する話となる。父の職場を家族に見せる機運を社会に望みたい。


また家庭にある時の母は、ひとつの重厚な存在感として子供の心に残る。父も母も理想ではなく、人間の存在の証として認識されれば、それで家庭教育は成功したのである。両親は、子供が最も理解しやすい、人生で最初の教師である。

個性は、学校で受け入れられる場合と拒否され理解されない場合とがあるが、それは人生のいかなる時点にもあり得る矛盾である。それゆえ理解されない苦難にいかに耐えれるか、ということも、ひとつの学習である。もちろんそれには、別の角度から、家庭や友人などの支持が大きな助けになるのは言うまでもない。

人格のできていない人間は、本来高等教育を受ける資格がない。善悪をわきまえる感覚が、学問に常に優先して存在するべきものであろう。そのために私達の先人は実に豊かな遺産を遺している。

日本語を駆使し、複雑な心情の表現を可能にする、読み、書き、話す技術はもっと大切にしたい。芸能・文化も古来、論理と感性の双方に火を灯す手段として、また時には人間を超える観念にまで私達の想念をかき立てることを可能にする。なぜなら、人と心を通わすことが、人間性を保ち、豊かにし、生きるに値する人生を作るのだから、そのためには、コミュニケーションの方途が必要なのである。それゆえ、テレビだけでなく古典、哲学などの読書も、必須なものとして再認識したい。

教室で道徳を教えるのに、なんでためらう必要があろうか。基本的な道徳は、普遍性、明快性、単純性を持っている。小学校においては「道徳」、中学校においては「人間科」、高校においては「人生科」として、専門の教師だけでなく、経験豊かな社会人も協力して教える。そこでは、肉体的な生と、精神的な生との双方の充足が、人間を満たすことを知らせる。また成長にしたがって人間は確実に訪れる生の完成の果てにある死を認識できるようになる。その時、自他共に生はいかに大切であり、あらゆる失敗は補填できるが、自ら命を絶ったり、人の命を奪ったりすることだけは、取り返しのつかない行為だということを、改めて教えなければならない。

学校は個人の所有物ではない。多数が共存することは、時に喜びであり、時に苦悩である。共存は、強制と自由、規律と寛大の、苦悩の歴史は編み続ける。ゆえに1人の子供の為に、他の子供達の多くが学校生活に危機を感じたり、厳しい嫌悪感を抱いたりするような事態にしてはならない。当然のことながら、極めて個性的な子供には、個別の配慮がなされるようにする。

教師は、改めて徳と知識の双方を有してほしい。そのために、教師自身が絶えず勉強を続けることが望まれる。生徒と保護者は、その結果として、教師に人格的権威を自然に感じるようになるのが理想である。

地域と社会は、教育にまことに冷たくはなかったか?テレビは偉大な影響を持つが、視聴率に迎合して、理想を失うことが多くなった。テレビだけを責めるのは、気の毒かもしれない。子供も大人ももっと手近なストレス解消の手段として、テレビに依存している。

社会は子供達に嫌われ、憎まれることを欲しなかった。社会は子供達に迎合し続けた。しかし教育はしばしば嫌われ、憎まれることによっても、その機能を発揮するのである。社会は必要な時に子供を叱る勇気を持つべきだろう。地球上の多くの土地で、子供も大人も生きるために働いている。働かなければ食べられないのだ。

自立して生きることは人間の基本である。できるだけ早くから子供には、精神的、経済的、生活技術的独立を可能にしておかねばならない。教育は本来、父母、当人、社会が共同して行うものであり、そのすべてが効果に責任を有する。親だけが悪いとか、社会が自分を裏切ったから自分はダメになった、などと言うのは口実に過ぎない。


自分の教育に責任があるのは、まず自分であり、最終的に自分である。

各家庭も、それぞれ個性のある教育スローガンを持ったらどうだろうか?

「人の嫌がることはしない」
「甘えるな」
「自分を抑える力を持つ」
「自分の事は自分でやる」
「いじめをしない」


どのようなことでもいい。進歩を前提とすれば、スローガンは毎年変わることもあるだろう。人は変化して生きる素晴らしさを持つ。

「教育の日」を制定することも考えられる。個人も家庭も学校も地域も、新鮮な思いで改めて問題点を発見する為である。地方公共団体はそれぞれの選択により毎年教育目標を定めることが可能になる。

今までの教育は、要求することに主力を置いたものであった。しかしこれからは、与えられ、与えることの双方が、個人と社会の中で温かい潮流を作ることを望みたい。個人の発見と自立は、自然に自分の周囲にいる他者への献身や奉仕を可能にし、更にはまだ会ったこともないもっと大勢の人々の幸福を願う公的な視野にまで広がる方向性を持つ。

そのために小学校と中学校では2週間、高校では1カ月間を奉仕活動の期間として適用する。これは、既に社会に出て働いている同年代の青年達を含めた国民すべてに適用する。そして農作業や森林整備、高齢者介護などの人道的作業にあたらせる。指導には各業種の熟練者、青年海外協力隊員のOB、青少年活動指導者の参加を求める。

これは一定の試験期間をおいてできるだけ速やかに、満1年間の奉仕機関として義務付ける。

そこで初めて青年達は、自分を知るだろう。

力と健康と忍耐する心を有していることに満足し、受けるだけではなく、与えることが可能になった大人の自分を発見する。障害者もできる範囲すべての奉仕活動に加わるから、彼らもまた新しい世界を発見し、多くの友人も得るだろう。

私達人間はすべて生かされて生きている。

誰が貴方達に、炊き立ての御飯を食べられるようにしてくれたか?

誰が貴方達に冷えたビールを飲める体制を作ってくれたか?

そして何よりも、誰が安らかな眠りや、週末の旅行を可能なものにしてくれたか?

私達は誰もが、そのことに感謝を忘れないことだ。

変化は、勇気と、時には不安や苦痛を克服して、実行しなければ得られない。

私達は決して未来に絶望していない。道は厳しい。しかし厳しくなかった道はどこにもなかった。だから私達は共通の祖国を持つ貴方達に希望し続ける。(曽野綾子)

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