【欧州、移民の悲劇②】洗脳される「罪悪感」で悲劇を生む | 中谷良子の落書き帳

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①からのつづきです。
【欧州の移民の悲劇①】日本では日教組の刷り込みによる「謝罪外交」という大罪

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★「高潔な野人」神話★

これは明らかな熱病だった。欧州人に特有で、欧州人に共通の熱病だ。その種の発言をすることはコストのかからない政治活動だという計算がなされているかに見える。だが、実際はそうではない。なぜなら政治家が自国の過去について絶えず謝罪しているように見える国は、やたらと謝る国もあれば、まったく謝らない国もあるという世界にあっては、しまいには罪悪感を抱く特別な理由がある国だと見られてしまいかねないからだ。

オーストラリアが永遠に自国の過去を謝り続ける一方、中国が沈黙を保ったままなら、いずれは他国ばかりかオーストラリアの子供達にまで、オーストラリアは謝罪すべきことをより多く抱えた国だという印象が浸透してしまうかもしれない。

それに歴史上の過ちを大量虐殺に“格上げ”するのは、論争好きな学者や野心ある政治家にとり、コストがかからないことかもしれないが、彼らが焦点を当てる悪行のイメージは、やがてその国に対する世界の見方だけでなく、その国の人々の自国観にまで深く根を張っていくかもしれない。

適度なレベルを超えて歴史を卑下するような極端な性向を持つことで、実際に何が得られるというのだろう。たとえオーストラリアが原罪を背負い誕生したにせよ、それを正すためにできることなど何もない。


考えられるのは建国から何世紀もたった今、全国民を人種によって分け、初期の入植者の子孫に対し、その富を先住民の子孫に渡すよう(適切な遺伝子検査のあとで)命じることくらいだ。人種が混じり合った人々の場合は、遺伝子法廷により裁決が下されよう。遺伝子検査の結果に応じて、ある者は富の一部を手放すよう命じられ、ある者は思わぬ現金を手に入れ、またある者は手持ちの財産をきっちり維持することになるかもしれない。

盗みが犯罪であるなら、弁済こそが唯一可能な懲罰なのだ。

そうしたあり得ない結論を別にすれば、オーストラリア人は自責の念を抱ける限りにおいてオーストラリアに住み続けられるという暫定的な合意を結ぶしか道はなさそうだ。芸術を含むアボリジニの文化にたゆまぬ賛辞を贈ることや、現代の文化に比べて軽視されがちな先住民文化を特別な清浄さと心理を持つものと広く認めることが、その悔恨の念を補完する手段になるだろう。



近年はそうした流れの中からオーストラリア版の「高潔な野人」神話が生まれてきた。ロマン主義が生んだこの概念は、現在より前に過ぎ去ったものを、(たとえ明らかに劣っていようと)より良く、より純粋なものとして描く。普通なら人々が共感しないような行為を、共感できるものと捉えるのだ。

ロマン主義の時代に流行した未開状態への賛美が、現代のオーストラリアで実を結んだということなのかもしれない。

※アボリジニとは
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つづく