【欧州の移民の悲劇①】日教組の刷り込みによる「謝罪外交」という大罪 | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

長文なので私の感想は短くまとめます。どこの国も移民がその国のアイデンティティーを大切にし、感謝し、自分勝手な要求をしない、というのは幻想で、混乱を招き、災難が襲いかかる。

欧州から見えてくる日本の未来。ダグラス・マレー氏が、移民に警鐘を鳴らし反対する声は「多文化主義」のスローガンに押しつぶされ、声を上げる英国民や論者は「人種差別主義者」として攻撃された。

そのように保守派を攻撃したのは政治家であり、いわゆる博愛主義者やグローバリストであった。日本と重なる部分も、おおいにあり。




★歴史的罪悪感に苦しむ欧州人★
~ダグラス・マレー、英国人ジャーナリスト~

原罪を背負い生まれてきたと感じているのは現代の欧州人だけではないかもしれない。しかし欧州人は明らかにそのことで最も苦しんでいるように見える。

今日の欧州人は他人がそのことを持ち出すずっと前から、自分達が特定の歴史的罪悪感を背負うべきだと感じている。そこには戦争、とりわけホロコーストの罪悪感だけでなく、過去にかかわるあらゆる領域の罪悪感が含まれる。

たとえば消えぬ植民地主義や人種差別主義の罪悪感などだ。それらすべてが一体となり大変な重荷になっているわけだが、もはやそれは欧州人が単独で背負うことを求められるものではなくなった。ここ数十年、一群の目立って均質的な国々もまた、現代の欧州を苦しめてきた「歴史からの恐喝」を引き受けているからだ。

目を引くのは、同じ罪に苦しむそれらの他大陸の国々が、すべて欧州の手で創建されているということである。そのために欧州の汚点が世界中にばらまかれているという印象になってしまう。

現代の欧州人にとり、植民地主義は中程度の罪のひとつにすぎない。だがオーストラリア人にとって、植民地主義は建国以来の原罪になっている。欧州諸国のように富を求めて他国を略奪したから非難されているのではない。自国を略奪しているから、そして今もその国土で植民地主義的なプロジェクトを進めているから非難されているのである。

オーストラリアの植民地主義は自国で始まったと言われる。今日のオーストラリアの学童は、「現在の美点がどうあうろと、この国は大量虐殺と盗みの上に建国された」と教えられるのだ。その元々の植民者が欧州の白人だったという事実のために、彼らの行為は「黒っぽい肌の人々の土地を奪った」という(やはり聞き慣れた)話とは比べ物にならないほどの悪行になっている。

あるグループが別のグループを征服し、勝者が敗者を虐げた。そんな話は地球上のたいていの国にあるものだ。だがオーストラリアでは、この数十年間の間にアボリジニらの「最初の人々」に対する歴史的な扱いが、公的な議論における中心的なテーマへと移行した。


それはこの国の最深部にある、「建国に伴う罪」なのだ。奇妙なことにこの自責の物語は、実際にはオーストラリア社会から望まれ、歓迎されているようにも思える。

人々が真に望んでいるものは、次第に事実が“インフレ”を起こすのが常だ。宣教師と役人がアボリジニの子供達(いわゆる「盗まれた世代」)を親から引き離したオーストラリアの政策は、ある種の大量虐殺とみなされるようにさえなった。一般向けの様々な本や映画、政府の調査で取り上げられ、首相以下の政治家達は謝罪を繰り返した。

過激な主張が歓迎される一方で、それに対する反論は犯罪者による否認と人種差別主義の証拠として受け取られなかったからだ。

結果的に今日のオーストラリアで焦点として残されたのは、アボリジニのコミュニティが受けたこの歴史的被害に対し、どの程度の補償を行うべきかという一点になったように見える。この根深い罪悪感が積み重なった結果、世界から見たオーストラリアの印象及び、同国内での自国のイメージに明確な変化が表れた。

陽光あふれる楽観的な場所から、吐き気を催すような過去を持つ暗い印象の国へと変わったのだ。

近年、その思潮は「手の海」のような大衆行動の中に表現されている。これは何十万もの市民がスポンサーとなり、アボリジニ風の色彩をしたプラスチック製の手にサインをして、国会議事堂などの公共施設の前庭に設置するというものだ。

「盗まれた世代」への謝罪の言葉を国民が寄せ書きする「謝罪の本」の活動にも数千人が参加してきた。1998年以降は年に1度の「謝罪の日」も設けられている。


当然ながら、すべての原罪がそうであるように、オーストラリア人が謝罪し続けているこの罪も正されることは不可能。確かに現在オーストラリアに住む人々の多くは欧州などからの入植者の子孫であるかもしれないが、彼ら自身はいかなる土地も奪っておらず、いかなる世代も盗んでいない。たとえ土地を受け継いだにせよ、そのために他人を抑圧したり強奪したりはしなかった。

それにアボリジニの経済的機会や雇用機会は他のオーストラリア人に比べて依然として大きく遅れているかもしれないが、そのことから浮かび上がるのは解けない謎だ。現在もこれまでも、アボリジニに対する政策を正そうと人々は、先住民のライフスタイルをいかに「保存」するかという難題を解決できていないのだ。

他の国民と同様のライフスタイルを享受するよう、アボリジニに奨励したり強制したりすれば、その過程で彼らの文化を消し去ることになるだろう。

自己批判の流行はもはやオーストラリアだけのものではなくなった。実際、ケビン・ラッド首相が2008年にオーストラリア先住民に対し同様の謝罪を行った数カ月後のことだった。どちらの謝罪も痛ましい歴史上の一時期に対する政治家らしい償いの表明として、広く歓迎されている。



異議を唱える声はほとんど聞かれず、歴史的な記録さえもがしばらくの間、公正に評価されえなくなった感があった。

カナダでは、オーストラリアやその他のすべての同種の例と同様、謝罪の対象となった犯罪の規模を大げさに言うことが、ある種のサービスになっていた。

実際の犯罪で実際の法廷に立つ人間が、本当はもっと悪いことをしたのだなどと自慢したら、裁判を受けるのに不適格とみなされるだろう。ところが自分が被告席に着くわけでも有罪を自覚しているわけでもなく、単に死んだ祖先を代弁しているだけの人間は、おそらく話を誇張しがちになるのだ。

現代の政治家にとって、そうした謝罪を表明することは政治的な意味しかない。

そして罪が重く、非道さの度合いが大きいほど、謝罪は重みを増し、遺憾の意を表すことの潜在的な政治的利得は大きくなる。

政治指導者達はそうした発言を通じて、自らは汚点にかかわることなく度量の大きさを示せるわけだ。謝罪を行う人物自身は何も悪いことをしておらず、謝罪を受けられたはずの人々は全員死んでいるのだから。


※アボリジニとは
https://ryugaku-chiebukuro.com/chiebukuro/aboriginal/


つづく