反日教科書を推奨する前川喜平 | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

共産党の関係者が作成した学び舎の不適切な教科書の検定を認可したのは文科省の初等中等教育局長だった前川喜平であり、教育基本法改正や道徳の教科化は「やりたくない仕事」だと言っていたのです。このような者が文科省のトップだったなんて・・・

そして反日極左が不採択運動を巻き起こしていた教育出版の小学校道徳教科書に掲載されている「あいさつとお辞儀」は、とても重要な事柄でした。なぜなら今、無意識のうちに「朝鮮式」のお辞儀をしている老若男女が多いからです。日本式の正しいお辞儀の仕方を子供達が成長するうえでマナーとして教科書で教えるのは当然のこと。

正しいお辞儀

朝鮮式お辞儀


以下の書籍を読めば前川云々以前に、文科省が腐敗していたのは戦後からだったのです。皆様には是非こちらで文科省の闇に触れてみていただきたいです。






空花です。前川氏の言動について先に触れましたが、ここで改めて、極めつけの醜い言説を紹介しておきます。

題して「前川喜平さん 教科書、教育問題を語る」

1.教科書検定について
教科用図書検定調査審議会が責任を持って検定することになっているが、実際には教科書調査官が教科書発行者との間でやりとりしている。学問の世界で通説だと言われるものを判断基準にしている。

裁判があった(注:家永訴訟)ため、何でもかんでも意見を付けるものではなく、調査官の態度も抑制的になったと思う。教科書調査官は辞める人が後任を連れてくる。調査官や審議会があるため、政治の圧力をある程度排除できる。

もしこれらが無くて、大臣の言う通りにさせられたら恐ろしいことになる。例えば「南京虐殺事件」を「書くな」ならまだしも、「なかったと書け」なんて言われかねない。教育内容は、学術的で学問の世界の成果にもとづいて判断すべきものであって、政治的に判断すべきものではない。

学問の自由の中で、その成果を踏まえて教科書が検定されるべきものです。政治の意思で検定したり、教育内容を決めたりするのはおかしい。教育内容の基準であれば中央審議会があって、そこでいろんな立場の委員がいて議論を重ねて決めていく、それもあくまでも大綱的な基準で、先生達はその中で自由に教えられることが大切である。

第2次安倍政権はちょっと特異だ。政権全体に入れるが、人事権・任命権をフル活用して、自分の意に反するものを排除して自分の意向に添った者を採用する。

その一環で下村博文文科大臣は中央教育審議会の委員だとか、教科用図書検定審議会の委員だとか、自分の意見をずいぶん入れて選別した。だから、中央教育審議会の委員には櫻井よしこさん、教育再生実行会議には八木秀次さんなどを入れ、自分達のイデオロギーに近づけていこうとする。

本来、中立性や客観性を担保するためにある審議会が、任命権を通じてずるずる右によっていくということがおこってきた。

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空花注:みなさま 此処まででも十分に、前川氏の「面従腹背」ぶりがお分かりでしょう。検定制度や人事のことなど「僻目」丸出しですね。
教科書(検定・採択)制度改革に注がれてきた先人達の幾多の努力、苦労など、お構いなしの反日左翼向けに発せられた軽い言葉です。
検定を歪めた当事者であるにもかかわらず、無責任ですね。


前川「面従腹背」の役人人生の続きです。

2.教科書採択問題
教科書採択は、個人的意見だが、学校採択にすべき、学校ごとに教科書を選ぶべきだと思う。しかし、教科書採択は小中学校の場合は市区町村の教育委員会の権限だ。市区町村だが町村の場合は単独でやっちゃいけない、郡単位でまとまれという。郡という行政区画が2年前までは意味を持っていた。

異なる市町村が同じ教科書を使わなければならない理由について文部省の時代から説明してきたのは、子どもが転校したときに困るだろうからという。私は奈良から東京に転校したが、同じ郡内であれば同じ教科書を使った方がいい、子どもが転校するときのためだ、そんな説明は全然成り立たない。

もう一つは、教科書を文部科学省が全部買い取って配るという教科書無償制度がある。学校ごとにバラバラだったり、市町村ごとにバラバラだったら、文部科学省の方で配送する時に手間がかかる、まとめてもらった方が効率的だという。とても正当化できる理由ではない。

教育課程は学校ごとに決めることになっているのであれば、教科書はそれぞれの学校の教育課程にふさわしい、その学校のカリキュラムにあっている教科書を選ぶのがいいので、教科書は全部学校採択にすべきだと思う。

1996年12月に行政改革委員会が教科書採択について、将来的に学校ごとに採択する方が教育的にいいという意見を出したが、これが本当に実施に移されていればよかったと思う。ただ、文部科学省にも、文教族といわれる政治家の中にも共同採択が大事だ、残した方がいいというような雰囲気はあった。

共同採択はもともと市町村教育委員会同士で監視し合う意図があった。共同採択の本当の狙いは、革新自治体が偏向教科書を使わないようにという監視機能を持っていた。
(空花注:前川氏の本性見たり)

教育委員会と総合教育会議との関係であるが、教育委員会は一つの機関として意思を持つ。総合教育会議は会議であって、決定というものはない。どっちが主たるものではなく、立場の異なる首長と教育委員会とが協議する場であるという位置付けだ。

例えば学級編成を30人にするというのであれば、30人にするのは教育委員会が決めることで、そのときに必要な教員の配置など人数をどうするかについては、首長が決めないと増やせない。

お互いの意思決定を整合性ある形にしていくために協議するところだ。
(空花注:此れも暴論。総合教育会議の制度の導入の意味を歪めている。自治体の首長は有権者民意の反映として、教育の大枠を主導できる。)

私が局長の時、教育再生首長会議に何度も呼び出されて、「総合教育会議で教科書を決めてもいいだろう」と言うから、「いや、それはできません。教科書採択はあくまでも教育委員会の権限ですから、総合教育会議で教科書採択を決めることはできません」と言った。

「じゃあ協議はできるのか」「協議もできません」と。「じゃあ何ができるんだ」と言うから「首長として個人的見解を言うことだけはできますが、その意見に基づいて協議はできません。決定する全ての権限は教育委員会にあります」そう説明すると、ものすごく不満な顔をした。教育再生首長会議に集まっている首長たちは、教科書採択に関わりたくてしょうがないんだ。

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空花注:前川氏の「面従腹背」ぶりが更に理解できましたでしょうか。
文科省の公式見解(方針)と如何に乖離しているか。
前川氏がいま語っていることは、全て、日教組や共産党系教員組織「全教」の要求に寄り添っているのです。
社会主義イデオロギーの教員が書いた教科書を、自民党が予算を付けてせっせと配っている、滑稽な日本の姿がいつ消えるのでしょう。
教育行政のコアな部分がすでにピンクに染まっている現状。油断してきた自民党にも重大な管理責任があります。

前川「面従腹背」の続きです。ここではっきりと、自分は「面従腹背」したと言っています。如何に前川氏が、文科省内部でトロイの木馬よろしく、工作していたのかが、得意げに語られています。裏切られた義家氏や下村氏は、前川氏を文教委員会で証人喚問したらいいでしょう。


3.八重山教科書採択問題
八重山の問題(空花注:竹富町教委が共同採択の育鵬社ではなく東書を独自に採択したことで、国は教科書無償提供にしないと文科大臣政務官(義家氏)が言ったという話)で、
私は竹富町は裁判に訴えてもよかった、そうしたら勝ったと思う。

私が担当局長だったので、いざとなったら竹富町に渡してあげようと、論点をまとめたペーパーを作っていたのだ。国の主張はここが間違っているから、こう主張しろと。私は国側で、何処が間違っているかよくわかっているから、本当に「面従腹背」していたと思う。

八重山教科書採択問題は、もともと共同採択制度なんていう制度が残っていたからいけないのだ。此の問題が持ち上がった民主党政権下だったが、野党だった義家氏みたいな人に当時の文科省初等中等教育局が迎合したのだ。どうせまた自民党政権に戻る、最終的に権力を握る側に就いた方がいいと思ったのであろう。

竹富町だけが自分達で教科書を買うのはおかしいと思った。でも、民主党政権の時には、それでも自分達で買うならいいと言った。ところが自民党・公明党の政権に戻った時、
義家氏が文科大臣政務官になって乗り込んできて、この問題を蒸し返した。
(空花注:義家 弘介 政務官の任期は平成24年12月27日~平成25年 9月30日 )

竹富町の採択は違法なのだから違法な採択は是正しなければならないと。「自分達で買うのであっても駄目、とにかく育鵬社教科書に変えろ」と言い張った。下村大臣も同意見で、その時運悪く私は初等中等教育局長になってしまった。 (空花注:一体文科省はなんて迷人事を行ったのだ!)

初中局長の私は沖縄県教委に対して、「是正要求をしろ」という指示を出した。沖縄県も「ちょっと検討させてください」、私も「ずっと検討していてください」と言って、時間稼ぎをしていました。沖縄県はいつまでも検討中と言って何もしないから、直接竹富町に対して是正要求に従わないのは遺憾である、とやった。

でも、法律改正したら竹富町は独立した採択地区になれるから、そうしたら大手を振って東京書籍を採択できるから、とにかく平行線でどうしようもないという状況にしておきましょうと。そして、国会で法改正を行った。郡単位で縛ることはなくなり、竹富町は独立できるようになったのである。

法律ができたらすぐに沖縄県の教育委員会を開いてもらって、竹富町を独立させるという決定をしてもらった。それこそ、義家氏から「話が違うではないか」と言われたのだが、「ホントに話が違いますね。いやあ、こんな風になるとは思いませんでした」なんて、言っておいた。

空花注:法改正とは、「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律の一部を改正する法律及び義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律施行規則の一部を改正する省令の公布」
平成26年4月16日付
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/saitaku/1354971.htm

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空花注:当時の沖縄県教委の煮え切らない態度の背景がようやくわかりました。前川の工作だったと。
共同採択制度の強化はつくる会にとっても有利に働くのではと、期待したのであるが、真の狙いは竹富救済策であったのだ。
前川を文部科学行政に対する信頼失墜、背信行為で訴えてやりたい。
文科省事務次官を辞した後も、加計学園騒動で一躍時の人となって、左翼団体から講演依頼が引きも切らせぬ状況である。
氏の言う、「歪められた文部行政」とは、まさしく前川氏自身が行ったことだろう。

ここで一旦連載を休みますが、皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。


百人の会メルマガより。


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