左翼復活の可能性 | 中谷良子の落書き帳

中谷良子の落書き帳

核武装・スパイ防止法の実現を

私はサヨクは風前の灯だと思っていますし、現代の若者サヨクは時代に流されている遊び感覚的に見え、昔に比べればナヨナヨしていて、とても筋金入りとは程遠い存在ですが、安保法制が成立の動きを見せる中で、ここへきて大きな盛り上がりを見せていることに懸念を感じますし、絶対に油断してはならない存在だと思います。

以下は当ブログ読者の方のご意見です。




ジェリーさん、昨日の街頭演説大変ご苦労様でした。

昨日の扇町公園での反日左翼集会には17時15分に5000人くらい集まっていました。

17時開始で゛主催者共産党は1万人集会戦争法案反対のスローガンでした。。

参加者は8割以上が60歳以上の男女でした。

参加者のノボリが50以上あったのだが、ほとんどが大阪府下各市の職場労働組合、教職員組合、医療組合,保険組合、緑の党、生活の党、などでした。いろんな参加者に話をした。

ある参加者は、石破大臣が言った 生活困窮者の若者には自衛隊に入ればよいとの発言を批判していた。

別の参加者に中国の脅威を訴えても全然関係ないよとの返事。

日中友好のノボリの参加者に中国中央テレビの4チャンネル、13チャンネルのプロパガンダを知っているかといってもしにないという。

やはり、60歳以上の参加者はアサヒ、マイニチ、NHKなど中国の脅威をまったく伝えない報道を信じきっているため、安全保障法案、集団的自衛権の法案が間違っていると判断している。

全国各地でのこのような集会規模があるんだなと思うと、政権与党を支えたいが非常に厳しいだろうと感じる。

これらの反日左翼集会に対しての護国活動の参加者の少なさ、チャンネル桜の集会デモの参加者数は負けている感じがする。左翼活動家は組織動員力が強く、護国活動家は組織動員力が薄く感じる。



自分は、いわゆる「左翼」の「復活」の可能性を固く信じています。

何故なら、現在、いわゆる「保守派」が幅をきかせている、という事実がその理由です。

だって、二十年前、いわゆる日本新党ブーム、細川護煕の七党連立政権が誕生し、その後、羽田政権、自社さの村山富市政権が誕生した頃を思い出してみます。

もう、いわゆる「保守派」という存在が、いかに駄目駄目であったことか。

「政治改革」が叫ばれ、自民党は分裂して下野しました。...

「戦前」を知る、戦友さんやご遺族が高齢化して社会の第一線を退きました。つまり、「戦後」が完了した訳です。

教育の現場も、大マスコミの論調も、アカデミズムの大勢も、全てが左翼的リベラリズムで染め上げられました。

もう、若い人、次世代の方々は左翼的リベラリズムの範疇から出て来れないと思われたのです。ですから、一部で「いわゆる『靖国』問題は時間が解決する。」と云われました。

つまり、「戦前」の世代が全員死に絶えてしまえば、靖国神社を参拝する人間はいなくなり、「経済的」に「消滅」すると。

ところが、その後、インターネットが普及し、インターネットが既存の大マスコミや教育界、アカデミズムに対して挑戦的になります。

既存の「大勢」、もしくは「体制」への「反感」、アンチの感情が、いわゆる「ネトウヨ」というかたちで出現した訳です。

当初、左翼的リベラリズムの学者やジャーナリストと呼ばれる「インテリ」は、この「ネトウヨ」に対して、嘲笑の対象としかみなしませんでした。

「2ちゃんねる」での書き込みを「便所の落書き」と評し、「右翼は高年齢・低学歴・低偏差値」で、高度な理論構築など不可能で、「肉体言語」による「テロル」しか出来ないと高をくくっていた訳です。

しかし、2000年代に入って、その「見立て」の雲行きが怪しくなります。左翼的リベラリズムのインテリが軽視した「ネトウヨ」は、想像を絶するほど、広範なものに成っていました。

そこからじりじりと「後退戦」を強いられるようになっていきます。

現在に於いても、左翼的リベラリズムの「インテリ」は、教育界、大マスコミ、アカデミズムの大勢を占め、実権を握っています。

いわゆる「市民団体」の「組織」も頑強に残存していますし「資金力」も潤沢です。にもかかわらず、政治的には「後退戦」に次ぐ「後退戦」を強いられています。

この現状を、一体、誰が予想し得たでしょうか?

これと全く同様なことが、実は「左翼」にも当てはまるように自分は感じます。

「もう、左翼はゴミだから、馬鹿だから、あとは滅びるだけ。」

この「油断」こそが、いわゆる「左翼」の「逆襲」の可能性の担保であり、根拠であると、敢えて自分は云いたいです。

左翼的リベラリズムの「根」は、実はとてもとても深いのです。

少なくとも、十年前に自分が体感した、「保守派こそ挑戦者である」という感じは、現在は無くなりました。

十年前は、完了した「戦後体制」への「挑戦者」として、いわゆる「保守派」は、「ロックンロール」な魅力が有った。

しかし、今や、時の政権は安倍晋三で、朝日新聞は青息吐息。

いわゆる「保守派」が幅をきかせていますから、もう「ロックンロール」な感じじゃなくなってきた感じです。

むしろ、追い込まれた「左翼」の「絶滅危惧種」とも云える新左翼、極左過激派こそが「ロックンロール」に感じられてきているんじゃないでしょうか?

いわゆる若者が、中核派なんぞに吸い寄せられてしまっているのは、そんな感覚的な理由だと思います。

ただし、その感覚的なものを、馬鹿にしたり軽視したりしてはいけません。

何故なら、感覚的なものは、論理的に論破することが不可能だからです。「やっぱり、左翼ってロックンロールだよね!」っていう風潮が再び到来した時、いわゆる「左翼」の「逆襲」が始まると、自分は予感しています。



★新左翼戦闘史・1969年神田解放区闘争/東大安田講堂戦支援★

1969年1月の東大安田講堂に籠城し、機動隊と果敢に戦う、東大全共闘と支援に結集­した他大学の全共闘や全闘委の仲間を支援する陽動戦として、神田御茶ノ水地区で展開さ­れた解放区闘争。



★Japanese student movement in 70s 70年代の日本の学生運動★



上の2つの動画をご覧いただいた後に、以下の動画をご覧ください。

以下の動画を私がしつこくブログで発信し続けるのは、今の日本が真の民主主義ではなく、以下のように中国共産党、北朝鮮、韓国の息のかかった紙媒体や、テレビなどで知らず知らずのうちに私達が洗脳を受けているからです。

以下のような状況は、今の日本に非常に酷似しているのです。


★中国共産党はどのようになり上がったのか★

「説文解字」によると「党」という字は、即ち「尚(なお)黒(くろ)」の二文字から­なる。

「党」「党人」など、中国語の.中では貶す意味がある。孔子曰く「君子は矜(­きょう)にして争わず、群して、党せず」

「論語」の注解よると、党とはお互いの悪と­不正を隠し合うものである。

中国の歴史の中にある小さな政治集団は、「朋党」とよく呼­ばれるが、中国伝統文化の中では、良くない概念であり、徒党を組んだ悪い仲間という意­味である。

「党を結び」というと、「私利を営む」ことが連想される。

では、近代の中国で、「共産党」が現れ、勢いに乗り政権を奪い取れたのは何故だろう。­

中国共産党が人々に植え付けてきたものは、「歴史が中国共産党を選択し、人民が共産党­を選択した、共産党がなければ新中国も無い」というものである。

中国の国民が自ら共産党を選択したのか、或いは、共産党が党を結び、私利を営み、国民­に強制し、押し付けたのか、歴史の中で答えを探すしかない。