日本人にしか見られない腹切り行為 | 中谷良子の落書き帳

中谷良子の落書き帳

核武装・スパイ防止法の実現を

日本人の民族性は潔い生き方。
それに比べ支那中国と韓国のねちっこさときたら、こういった面でも表れてるのね。以下情報。



日本で最初に切腹した人は平安時代の盗賊、袴垂といわれている。
密告する者がいて、彼は捕り方に追い詰められ、刀を腹に刺し、切腹したと伝えられる。

永延2(988)年のことである。

本名、藤原保輔(ふじわらのやすすけ)との説もあるが不詳。
実在したかどうかも分からない。

その後、源為朝(みなもとのためとも)(1139~1170)らの切腹が伝えられている。
はっきりしている嚆矢(こうし)は佐藤忠信(1161?~1186)、源義経(1159~89)であろう。

義経は兄、頼朝の命を受けた藤原泰衡(やすひら)の軍勢に攻め立てられ、文治5(1189)年、衣川の館(現岩手県奥州市衣川区)で妻の郷御前と子の4歳の女子を刺し殺した後、刀で腹を切って内臓をつかみだして自害したと伝えられている。

鎌倉、室町期においては戦で敗北すると集団で切腹することがあった。
鎌倉幕府滅亡時の北条高時ら、六波羅探題の北条仲時ら、享徳合戦の千葉胤宣(ちばたねのぶ)ら、である。

十数人から百人単位での切腹が伝えられている。

切腹ではないが、新田義貞(1301~1338)は太刀を左手で持って、自分で首をはねてから、自分ではねた首を拾い、埋めたという話が「太平記」にあるが、あり得ない。

自殺の仕方にはさまざまな方法があろうが、以後、現代に至るまで多くの日本人が腹を切る方法で死を選んできた。

自ら腹を切ることで、死を全うするというのは、日本人にしかみられない行為である。
あとでみるように朝鮮・韓国人にも腹を切って自殺するという方法がないではないが、これは例外である。

古来、日本ではおびただしい人々が切腹をしてきた。
では、なぜ腹を切るのであろうか。

欧米においては騎士やそれに準ずる人々は、中世までは毒をあおったり、剣で喉を突いたり切ったりして自殺した。

近世以降はもっぱら銃がその手段として使われた。
中国では青竜刀で自分の首をはねるというやり方があった。

青竜刀の両端を持って正座し、青竜刀を自分の首の後ろにあてがい、その重さで自分の首を切り落とすのである。

朝鮮・韓国も剣で自身の喉や胸を突くという方法が多かった。
まれに剣を腹に刺すというやり方はあったが、日本のように横に切って腸を見せるということはなかった。

切腹とは異なるのである。

自殺の方法には他に服毒、首つり、投身、入水などもあろうが、しかし、武士はそのような方法は選ばなかった。

日本では武士やそれに準ずる人々の自殺は多くが切腹である。
腹筋に力を入れながら、腹筋を切っていくのであるから、その痛みは尋常ではなく、強い精神力が求められる。

しかし、あえてそれを行うところに大きな矜持があったのである。
日本人が愛でる花はサクラである。

満開のサクラも美しいが、日本人は潔く散るサクラに愛惜の念をもつ。
満開になるということは、散り始めるということでもある。

中国人が好む花はボタンである。
大輪の花を咲かせ、見る人を惹きつける。

しかし、中国人は萎れていくボタンに愛惜の念をもつことはない。
あくまでも盛りのボタンを愛するのである。

韓国人の好む花はムクゲである。
国花にもなっている。

ムクゲは無窮花とも書き、多くの花をつける。
ひとつが散っても、次から次へと開花して、数ヵ月間、花をつけ続ける。

いつまでもいつまでも咲き続けるのである。
中国の侵攻を幾度となく受けながら、滅びない朝鮮・韓国の姿に擬しているのかもしれない。

韓国人も散りゆくムクゲに愛惜の念をもつことはない。
中国人も韓国人も欧米人も、散る花に愛惜の念をもつことはないし、理解することもできない。

しかし、日本人はぱっと咲いて、すぐに散るサクラに心を寄せる。
この辺にも潔く散る切腹を好む民族性が隠れているのかもしれない。



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