![$Jellyの~日本のタブー~](https://stat.ameba.jp/user_images/20110724/03/ryobalo/e9/9d/j/t02200162_0481035411369705480.jpg?caw=800)
その中、急に事態が動いたのが、北朝鮮政府側の強硬姿勢である。
北朝鮮政府は、総連を通じ、朝鮮学校側はいかなる教育内容への改変も日本側の調査も(たとえ強制力がなくても)断固拒否せよという通達を出し、しかも11月23日、韓国の延坪島に砲撃を行うという軍事挑発をかけ、日本政府は急遽無償化を見直し、一時停止の措置を取った。
しかし、これは考えてみればおかしな話なのだ。
これまで日本政府は、外交問題や教育内容は無償化の是非の対象とはしないと述べてきた。
また、子供たちや生徒のを政治に巻き込みたくないという論者も多かった。
それなら、なぜ北朝鮮の軍事行為という、少なくとも朝鮮学校に直接責任はない「外交問題」で無償化は見直しされなければならないのか。
これに対し最も説得力のある論を述べたのが調査会代表の荒木和博氏である。
荒木氏はブログにて次のように述べている。
『23日の北朝鮮軍による延坪島砲撃で朝鮮高校の無償化の動きがストップしています(中略)これまで家族会や救う会が何度はたらきかけても言うことを聞かなかったのに、砲撃でストップするというのはどういうことなのでしょう。砲撃自体は朝鮮学校はもちろん、朝鮮総聯とも関係ありません。一方拉致事件に朝鮮総聯が関与した可能性は極めて濃いのに、です』
『ふと思ったのですが、拉致で制裁をしなかったり、朝鮮高校の無償化と切り離す理由は決して単純なものではないように思います。アメリカに歩調を合わせなければならないときはやるが(いざとなれば守ってもらえるから)、日本国民独自の問題だと何らかの脅威を受けたときに自分でやらなければならないということなのかも知れません』
これがことの本質である。
日本政府はこの教科書問題にせよ、拉致問題にせよ、また北朝鮮の人権問題にせよ、自分の頭で考え、判断し、実行するという意欲はほとんどない。
今回の無償化見直しは、現実の状況の変化の中米韓に歩調を合わせなければならないというそれだけの判断だろう。
80年代、かつて盛んだった左翼思想が凋落したころ、保守派の優れた知識人、福田恆存は述べている。
平和主義が退潮し、その非現実性が明らかになり、保守派の言論が強くなってきたのは、それは要するにアフガン侵攻などソ連の軍拡や拡張政策のおかげに過ぎない。
われわれ保守派の言論が勝ったなどという夢うぬぼれてはならない。
平和主義の偽善を暴いたのも、保守派の言説を強めたのも、結局言論や思想の力ではなく隣国の軍事的拡張だったという事実ほど、戦後の日本の言論界の空しさを示したものはない。
この図式は今も日本を覆っている。
あのようなばかげた教科書を使う朝鮮学校の無償化をいったん停止させたのは、北朝鮮そのものの暴挙だった。
いうことは、南北が今回の事件を調整し、和解に向かえば、再び無償化の道に日本政府は進むのだろうか?
拉致救出運動を差別排外主義と呼ぶ教科書を使うことに国税を投入する政府に、私は拉致被害者を救出することを求めるなどとは、ブラックユーモア以前の漫才に思える。
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