高松城址である玉藻公園は、讃岐国領主・生駒家、高松藩主・松平家の居城だった高松城跡を整備した公園です。
琴電の高松築港駅を降りてすぐ、西側の入口が見えています。
JR高松駅からも徒歩5分くらいのところです。
「玉藻」はこのあたりの海が「玉藻の浦」と呼ばれていたことからつけられたと言われています。
高松城は豊臣秀吉の四国征伐の後、生駒親正によって築かれた海城で、
瀬戸内海の海水をお堀に引き込み、日本三大水城として知られています。
当時は3重4階+地下1階の天守、約20の櫓が建ち並んでいたということです。
現在では艮櫓、月見櫓、渡櫓、水手御門が現存し、重要文化財に指定されています。
この日暑かったので午後になって頭痛がひどくなり、ホテルに着いてから頭痛薬を飲んで一休み。
そして玉藻公園に行ったのが夕方6時を過ぎていて、公園は6:30までだったので、とりあえず見られるところだけ、と駆け足で回りました。
閉園間際に「ギリギリまでスミマセン、見きれなかったー」
と出ようとしたときに、「明日は朝5:30に開きますよ」と教えていただき、
翌朝もう一度行ってきました。
なので写真は夕方のものと朝のものが入り混じっています。
高松城の西入口
看板の裏、左側に廉櫓(れんやぐら)、右側には弼櫓(ゆみだめやぐら)が建っていました。
蛸橋
本丸と二の丸を結ぶ連絡橋です。
当初は欄干橋だったようですが、江戸時代中期には屋根付きの橋になっていたそうです。
天守台の上から
天守台跡
天守台だけが残っています。
内堀の中に突き出た形で、蛸橋の向こう、城跡のすぐ横を琴電が走っています。
右が三の丸、左が二の丸で、狭くなった所に水門があります。
その先は海です。
月見櫓・水手御門・渡櫓
三層の「月見櫓」とそれに続く「続櫓」、そして海に面する大手門の「水手御門」が現存しています。
海からの出入りを監視する役割を持っていました。
お城の外側から
水手御門
薬医門様式で海に面した大手門です。
北の丸から直接海に出る事ができた門で、藩主はここで小舟に乗船し、沖で御座船に乗換えて参勤交代等に出かけたそうです。
月見櫓
総塗籠造り・三重三層・入母屋造・本瓦葺で、初重には切妻破風、二重には唐破風が見られます。
瀬戸内海を監視するためにつくられた隅櫓です。
渡櫓は、水手御門の南に位置する総塗籠の平櫓です。
高松城の東入口
東の入り口となる旭橋と旭門。
旭門の枡形
旭門をくぐると鏡石と巨石を積み重ねて造られた枡形があります。
艮櫓(旧太鼓櫓跡)
艮櫓(うしとらやぐら)は、1677年に東ノ丸の北東の隅櫓として建てられたものです。
三重三階・入母屋造り・本瓦葺の櫓です。
北東の方角のことを丑寅(艮)ということから名づけられました。
三の丸入口の櫓門で、桜の馬場と三の丸(披雲閣)を画する位置に建てられた櫓です。
1945年の高松空襲で被災し焼失しました。
復元工事により2022年6月に完成しています。
高松空襲で焼けた石垣です。
披雲閣(旧松平家高松別邸)
三の丸にあり、藩の政庁や藩主の住居として使われていました。
大正時代に再建されています。
松平藩時代には今の2倍の規模だったそうです。
現在は貸館を行っていて、お茶会やコンサート、撮影会などのイベントが催されるそうです。