名前の通り、司馬遼太郎先生の小説『坂の上の雲』をテーマにした展示や催しを行っています。
建築家の安藤忠雄氏の設計で、地下1階、地上4階建てのミュージアムです。
松山城周辺の歴史や文化を意識して考えられ、周囲の自然環境に配慮した外観と安藤氏がイメージする『坂の上の雲』を表現した空間となっています。
通りから見る城山の緑をさえぎらないような構造になっているのだそうです。
ガラスカーテンウォールには、城山の緑が映し出されています。
坂の上の雲ミュージアムは、松山のまち全体を屋根のない博物館とする『坂の上の雲』フィールドミュージアム構想の中核施設として、平成19年4月28日に開館しました。
小説『坂の上の雲』は、松山出身の秋山好古、真之兄弟と正岡子規の3人の生涯を通して、近代国家として成長していく明治日本のすがたを描いています。
館内の各階は、空中階段というスロープで結ばれています。
このあたりは撮影OKでした。
新聞掲載の壁
「産経新聞(夕刊)」に1968(昭和43)年4月22日 〜1972(昭和47)年8月4日にかけて、4年半にわたり連載された。計1296回。構想期間も含めると10年に及び、司馬遼太郎は40代のほぼすべてを費やした。この小説は、1999(平成11)年から 2000(平成12)年6月30日にかけて、「産経新聞(朝刊)」に再掲載されている。
テラスからは萬翠荘が見えています。
萬翠荘は、坂の上の雲ミュージアムから少し坂を登ったところにある、大正ロマン漂うフランス風の建築物です。
1922年、旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が別邸として建てたものです。
建築当時の様子をそのままに残す貴重な建築物として、2011年、国重要文化財に指定されました。
久松定謨伯爵はフランス生活が長く、フランスへの熱い思いを形にした、フランス・ルネッサンス様式の洋館となっています。
皇族の立ち寄り所や、各界の名士が集まる社交の場として利用されてきたそうです。
坂の上の雲ミュージアムから歩いて5分くらいのところに、秋山兄弟生誕地がありました。
『坂の上の雲』の、秋山好古・真之兄弟の生誕地に2005年1月に復元公開されました。
家は松山空襲で焼失しましたが、当時の写真や関係者の話などから復元されたものです。
建物内には秋山兄弟の直筆の書や、写真、関係資料などが展示されています。
庭には兄弟の銅像もあります。
秋山好古騎馬像
NHKで2年に渡り放映されたドラマを、懐かしく思い出しました。