江戸城 門巡り | moonさんの気まぐれブログ

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江戸城には今でもたくさんの城門が残っていて、どれもとても立派な美しい門です。

そしてそのほとんどが桝形門です。

先日江戸城に行ったときにいくつか回ってみました。

 

桜田門(外桜田門)

1860年3月3日、水戸・薩摩藩浪士が登城途中の井伊直弼を襲撃した「桜田門外の変」の舞台となった門です。

外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造で、間に大きな桝形があります。

現存している江戸城の城門の中では最大規模の桝形門です。

1961年に国の重要文化財に指定されています。

門を出ると警視庁の庁舎が目の前です。

 

現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。

 

外側から

高麗門内側

渡櫓門 外側

渡櫓門 内側

警視庁

国会議事堂も見えています。

 

皇居正門

普段は閉じられていて特別な行事の時や国賓来訪の時などに開きます。

一般参賀も、ここから皇居正門を通って宮殿前に入ることになります。

 

皇居前広場から正門を経て宮殿へ至る濠に二つの橋が架かっています

手前の橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」です。

 

皇居正門の「石橋」は、皇居前広場から見て、手前の眼鏡型の橋のことで、二連アーチ構造で眼鏡橋とも呼ばれています。

この橋は二重橋ではなく、本来の名は皇居正門石橋と言います。

 

「二重橋」は正しくは奥の正門鉄橋のことです。

かつてこの鉄橋の橋桁を支える台が、上下二重構造になっていたため二重橋と呼ばれていました。

現在の鉄橋は二重ではないのです。

勘違いしてしまいますね。

ちょっとわかりづらいので写真をお借りしました。

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坂下門

現在は宮内庁職員の通用門になっています。

1862年1月,老中安藤対馬守がこの門外で水戸浪士の襲撃を受けた、「坂下門外の変」の場所です。

元は今の櫓門の位置には高麗門があり、その先に枡形が形成され、左折して櫓門を通るようになっていました。

1885年に高麗門を撤去しています。

右に宮内庁が見えています。

 

桔梗門(内桜田門)  

先月の一般参観の時にも紹介しましたが、皇居参観者や勤労奉仕の人達が出入りする門です。

手前の高麗門とそこを抜けた右手の渡櫓門からなる枡形門となっています。

 

大手門

こちらも東御苑のところで紹介しましたが、旧江戸城の正門でした。

大手門の高麗門をくぐって中に入ると、枡形になっていてその先に渡櫓門があります。

現在は皇居東御苑の入り口です。

 

平川門

江戸城の裏門、大奥に最も近いので大奥女中達の出入りする通用門でもありました。

高麗門、渡櫓門、木橋の城門形式一式が、昔のまま残っているのはこの門 だけです。

別名、不浄門とも言われ、罪人や遺体はここから出されたそうです。

 

木橋

 

高麗門

渡櫓門 外側

渡櫓門 内側

 

平川門と北桔橋門の間に竹橋御門跡がありました。

 

北桔橋門(きたはねばしもん)

当時の江戸城の本丸の大奥・天守部分から外部に直接通じていた門ということで、重要地点にありました。

濠に架けられていた橋は、平常時には桔ね上げてられていて緊急時にのみ使われたと言われています。

江戸時代には高麗門を左折して渡櫓門がある桝形形式の城門でした。

今は残っているのは高麗門だけです。

高麗門 内側

外から

すぐ内側に天守台の石垣が見えています。

 

乾門

宮殿がある旧西の丸の裏門にあたり、皇居の乾の方角にあるため乾門と呼ばれます。

門を入った右側が吹上御苑で、天皇皇后両陛下のお住まいの御所はこの中にあります。

一般の人はこの門からは入れないのですが、春と秋の一般公開の際には、特別に通り抜けることができます。

遮るものがなかったので、近くまで行って見ようと中に入ろうとしたら、門の前にいたおまわりさんに止められてしまいました。

 

清水門

破風の中は銅板が張られ、青海波の波形の模様が刻まれているそうです。

田安門、桜田門とならんで重要文化財に指定されています。

渡櫓門 内側

右側の石段を登って行くと今は北の丸公園です。

外側

高麗門 

ここも破風が美しいですよね。

でも人がほとんど来ないのか、周りは草だらけ(手前の方に見えてますね)

今は立ち枯れているけれど、夏場はちょっと・・・と思いました。

 

田安門

日本武道館の入口として有名な門です。

江戸城の北に位置する桝形門です。

現在の門は1636年に再建され、現存する門の中では最古です。 

徳川御三家(紀州・尾張・水戸)に次ぐ家柄格式を持っていた、御三卿(清水・一橋・田安)の家名はそれらの屋敷が江戸城の清水門・一橋門(残存せず)・田安門内にあったことから命名されました。

越前の松平春嶽公はたしか田安徳川家から越前に養子に入った・・・と記憶しています。

高麗門

渡櫓門 外側

渡櫓門 内側

 

すっかり夕暮れです。

コンサートに向かうみなさんです。