総見院は織田信長の菩提寺です。
1583年、信長の一周忌に合わせ、追善供養のため秀吉が建立しました。
信長の死後100日後、秀吉は自分が喪主になり、京都大徳寺において大々的に葬儀を行っています。
「大徳寺葬儀」です。
信長亡き後の政権争いの中、秀吉が主導権を握るために建立したとも言われています。
廃仏毀釈により堂塔伽藍や多くの宝物が失われ荒廃しますが、大正時代に再興されました。
総見院は、信長の法名「総見院殿贈大相国一品泰巌尊儀」からきています。
チケットは、本堂に安置されている等身大の「木造織田信長公坐像」
信長の一周忌法要に合わせて秀吉が奉納したもので、仏師・康清の作と伝わります。
高さが115cmの等身大です。
秀吉は信長の像を二体作らせています。
香木で彫られたもう一体は、大徳寺葬儀の時に、遺骸の代わりに棺に納められました。
荼毘に付された際には、都中に香木の香りが広がったと伝わります。
本堂には信長をはじめ、織田家一族の位牌も安置されています。
茶室
境内には、三席の茶室があります。
秀吉が催した「大徳寺大茶会」はここで開かれたとされています。
「総見院方丈に秀吉が茶席を設けた」との記録が残っています。
信長公一族の墓碑
境内には信長をはじめ、織田家一族の供養塔や墓があります。
一族7基の五輪石や墓碑が並んでいます。
侘助椿
秀吉がこよなく愛し、また日本最古の胡蝶侘助とされる、樹齢約400年の侘助椿です。
秀吉が千利休から譲り受けて植えたとされています。
境内には他にも、「掘り抜き井戸」が残っています。
加藤清正が朝鮮から持ち帰った朝鮮石をくり抜いて造ったもの、と言われています。
今も水が湧き、お供えに使われているそうです。
表門・土塀は創建当時のままの姿を残しています。