『TAIJI―沢田泰司― 赤塚友美・著(宝島社)』読みました | 越中屋TAIJI(葛城 亮)’S LIBRARY

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PN : 葛城 亮
BL(ボーイズラブ)愛好家なので、そんな話もポツポツ出てきます。
ちょっと悪筆な喜多由布(きた ゆう)さんが居候してます。

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2015年7月17日発行の手記。
TAIJIが最期の時まで人生を共に歩もうとした婚約者、赤塚友美さんの手で編まれた記憶と記録です。


正直なところ、善くぞ形にしてくださったと敬意を表します。
4年の歳月がかかったとしてもです。
それだけの時間が彼女には必要だったのでしょう。
それはTAIJIのファン達にとっても必要な時間だったのかも知れません。


私個人に限って言えば、この記事を書くに当たって読了後半年以上の時間が必要でした。


当書斎(ブログ)でも度々触れていますが、ご存知ない方もいらっしゃるかと思いますので少しだけTAIJIの経歴を紹介します。

1966年7月千葉県市川市生まれ~2011年7月17日サイパン(米国の自治領北マリアナ諸島連邦〔正式名称:北マリアナ諸島自治連邦区〕の中心的な島。北マリアナ諸島の政治・経済の中心地)にて死去(享年45歳)。

ギターからベースに転向し従来のベーシストとは一線を画す希代のロックアーティスト。ベーシスト、ギタリスト、作曲家、アレンジャー。

数々のバンド遍歴の中で突出しているのはX(現、X JAPAN)とLOUDNESS(ラウドネス)のメンバーだったことでしょうか。

波瀾万丈なその生涯は「日本で最後の真のロックンローラー」と例える方もいらっしゃいます。


以下、ネタバレになってしまう記述もありますので、未読の方などご容赦くださいますようお願い申し上げます。
また、様々な病に関して言及する文章もありますが、病への偏見や患者の皆さまを傷付ける意図は全くありません。ご了承くださるよう重ねてお願いいたします。

























この書籍は

はじめに
第1章 航空機事件と謎に包まれた死
第2章 闘病とリハビリ、そして病の克服
第3章 TAIJIさんとの日常
あとがき

以上を赤塚さん、


LAST rylic by TAIJI


[巻末特典]沢田泰司が生きた証
特別寄稿 TAIJI―波乱の人生と音楽の軌跡 智田 泉
BIOGRAPHY
DISCOGRAPHY 他


の構成で書かれています。


TAIJIの晩年2009年から2011年7月17日まで婚約者として共に過ごした赤塚さん。
その筆致は時系列を前後しながらも穏やかで優しく、かつ凛とした強さを感じさせます。
TAIJIに対して思い入れのある人間ならば一気に読み進まずにはいられない、生々しくて鮮やかな、時として辛く苦しい事柄もつまびらかにされています。


TAIJIには交通事故やてんかん、脳梗塞、肝臓病、右手中指の欠損などがあり「一生車椅子の生活になると宣告されたことがある」とは私も知っていましたが、

ナルコレプシー(睡眠障害の一つ)、肝硬変の一歩手前、左大腿骨頭壊死、左足首靭帯断裂、膠原病、ネフローゼ(腎臓病の一つ)、

アルコール依存性、境界性パーソナリティ障害、解離性同一症(いわゆる〝多重人格〟と呼ばれるもの)、

それに伴ううつ症状、接食障害、転換性障害、不安障害(パニック障害など)、アスペルガー障害(自閉スペクトラム症ともいう)、統合失調症

と、赤塚さんが「怪我と病のデパート」と記したように、人ひとりではとても背負いきれないほどの傷病歴があったことを初めて知りました。


赤塚さんが立ち合った病の症状として、てんかんによる発作での意識喪失が何度かあったとのことです。
ひとり料理をしている最中に倒れ、コンロの火がつきっぱなしのまま、床に散らばった食べ物やフライパンの中で気を失っているTAIJIを発見したこともあるそうです。赤塚さんの帰りがもう少し遅ければ、火事になっていただろうと書かれています。
デパートでお茶を飲んでいる時に意識を失った際は、救急車で病院に搬送されたそうです。


心の病もたくさん抱えていたTAIJIは心療内科へ定期的に通っており、ある時期からはTAIJI本人の希望で赤塚さんも必ず同席するようになったとのことです。
そこで二人はTAIJIが患う境界性パーソナリティ障害と解離性同一症について説明を受けたそうです。

TAIJIの「境界性パーソナリティ障害」とは、感情の起伏や気分の波がとても不安定になるという病気とのことです。
怒りという感情が自分でセーブできなくなり終始イライラしていたり、物事に白黒はっきりつけないと気が済まなくなったり……。
患者であるという事情を知らない場合、とても「性格が悪い人」に見えてしまうこともある病気で、TAIJIも大勢の人からの誤解に苦しめられたそうです。


そしてもうひとつ、TAIJIが患っていた大きな病気として「解離性同一症」があったとのことです。
人間は限界を超える精神的苦痛を受けた際、体外離脱体験や記憶喪失を起こすことで感情を切り離し、心を守ろうとする防衛本能を備えているそうです。

TAIJIが苦しんでいた「解離」という症状は、防衛的適応とも言われ、誰にでも起こり得る「正常」とされるものから、治療が必要な「障害」とみなされるレベルまでいくつかの段階があるとのことです。
例として、不幸に見舞われた人が目眩(めまい)を起こし気を失ったりするのは、正常な範囲での解離と言えるそうです。


【解離】について『広辞苑』には「自分自身の同一性、過去の記憶、直接的感覚、身体運動の制御の間の正常な統合が、部分的あるいは完全に失われること」と記述があります。

また『家庭医学館』の【解離性障害】によると「たとえば、多重人格では、自己の中にいくつかの人格があります。おもな人格が一応正面に出て社会生活はしていますが、ストレスには弱く、不適応をを生じやすい状態にあります」とも書かれていました。


TAIJIの交代人格は穏やかな本来のTAIJIとは正反対の性格で、自傷行為をしたり、突発的に関係者へ怒りの電話をかけ、「怖くて意地悪な人」という誤解を与えることがあったり、いつもと違う低い声で何かを呟き続けるなど、到底理解出来ない行動を続けたそうです。

初めの内は戸惑うばかりだった赤塚さんも、心の病気についてきちんと理解し、正しく接することが出来るようになってからは、TAIJIの交代人格は少しずつ影を潜めていったとのことです。


TAIJIについて私が知っているのは、X、LOUDNESS、D.T.Rでのステージ(関東エリアはほぼ全て参戦、最北は盛岡、最西は大阪)、その当時の各音楽誌やムック本のインタビュー。

肉声として知っているのは、1990年12月から翌91年4月まで行われたX初のFILM GIG TOURで配布されたメッセージCDと、D.T.R始動の頃に我孫子市民会館で開催されたトークライブです。

あとは1995年7月6日渋谷オンエア・イーストD.T.Rライブに参戦。
そしてライブ後のファンミーティング(という名の打ち上げ(笑))。

最後に参戦したライブは2006年渋谷ギルティでのD.T.Rでした。


メッセージCDや我孫子のトークライブ、ライブ後のファンミーティングでのTAIJIの印象は、少し舌足らずな口調にちょっとだけ高めな声でとても穏やかに話す人、でした。

一方でX在籍時のやんちゃや破壊的行動のエピソードには事欠かない人でもありますし、
私が通っていた目黒の美容室(Xのヘアメイクをしていた方のお店。現在はありません)では

「また、Voicelessみたいな曲書きゃいいんだろっ!」
⇒『Voiceless Screaming』X時代にTAIJIが作曲した名バラード。アルバム『Jealousy』に収録。

などと苛立つ心情を吐露する様子を伺ってもいました。(この話は初出しです)


赤塚さんが書いていらっしゃるように、やんちゃな喧嘩やアルコールの飲み過ぎに悪ふざけ、破壊行動はロックミュージシャンの〝らしさ〟として捉えられてしまったのかも知れません。
実は心の病や精神錯乱状態による破壊行動だったにもかかわらず、

「さすが日本を代表する不良ミュージシャン」
「TAIJIさんは乱暴で何を考えているかわからない人」
「とても繊細。そしてキレたら歯止めが利かなくなる。だから接するときには気を遣う人物である」

という〈TAIJI像〉が確立してしまい、心の病気そのものが見過ごされてしまっていた可能性があるとも言えます。


TAIJIは赤塚さんと出会って長い間理解されなかった「心の病」に向き合うようになったそうです。

多すぎる処方薬の減薬、生活のリズムを整えるために早起きやランニングの習慣付け。足腰の強化を目指し、近所の階段の上り下りを繰り返すトレーニング。

アルコール依存性を克服したことは、私も関連裁判資料を閲覧したときにメモをとったのでよく覚えています。

そして「大切なこと」として赤塚さんが書いていらっしゃるのは

「TAIJIさんは病や障害との戦いを諦めたことはありませんでした。彼の「治したい」「生きたい」という思いには揺るぎない強さがあり、その強さは私をはじめとする周囲の人間をも勇気づけてくれました」

ということです。


報道によると、TAIJIはサイパン行きのデルタ航空機内で暴れたために拘束され、拘置所内で自殺を図り、母親立ち会いのもと延命治療を終了して死去、と伝わりました。

ただし、暴れた原因は同乗していたマネージャーの北見輝美

(赤塚さんは「早川利子(仮名)さん」としていますが、当書斎(ブログ)の記事『TAIJI関連裁判資料を閲覧してきました(12/06/30)』(←リンク跳びます)にあるとおり誰でも閲覧できることを踏まえ、実名で記載します)

との口論です。

TAIJIのマネジメントを委託するに当たって「心身の病気の治療を第一に、そして病気への理解を最重要視する」と依頼したにもかかわらず、
最後となったサイパン行きの前の時点ではマネージャーとしての北見輝美に対して不信感を抱いており、喧嘩が絶えなかったことも関連裁判資料に記載がありました。

TAIJIが拘束されてからの北見輝美の行動には疑わしい点が多く、その一部は「赤塚さんに対するなりすましメール問題」として民事訴訟と刑事告訴されています。

民事訴訟では北見輝美は何ら答弁を行わないまま、横浜地裁は2014年2月の判決で赤塚さんの主張した事実関係を認めているとのことです。


ここまで主にTAIJIの患っていた病と闘病を取り上げましたが、赤塚さんはTAIJIと共に生活した時間のなかでの何気ないエピソードやTAIJIの素顔も綴ってくださっています。

TAIJIが亡くなった当時、マネージャー北見輝美がわの意図だったのか、または「婚約者」という立場だったがゆえか、遺体のそばにいることもできず、TAIJIの親族と話すことも出来なかった赤塚さん。

その悲しみと混乱、ミュージシャン「TAIJI」の名があるがゆえのあらゆる憶測や誹謗中傷は想像を絶します。

TAIJIのご遺族との仲はどうなのか……。TAIJIファンのひとりとして気がかりでしたが、納骨式にはTAIJIのお母様から誘っていただけたとのこと。

さらに遺品についてお母様から「ギター1本だけでいいから、あとはあなたにあげるわ」と言っていただけたそうで、決して険悪な関係ではなかったことが伺えて、他人事ながらホッとしました。


あくまでも想像でしかありませんが、実妹の雅世さんがTAIJI一周忌の追悼ライブで

「色々言われてるけど、真実はいずれ明らかになると思う」

と言っていたのは、赤塚さんによるこの手記のことも指していたのかも知れません。


赤塚さんの意図したとおり、読後はあたたかい気持ちになりました。

もちろん、人によっては納得できない方もいらっしゃるでしょう。

でも、きっとそれ以上に赤塚さんへ

「ありがとうございます」

と伝えたいと願っているTAIJIファンも多くいらっしゃると思いたいです。


そして、どうか

「赤塚友美さん、あなたはあなたの人生を、これからは歩んでくださいね」

と願わずにはいられません。





最後に……

この『TAIJI―沢田泰司― 赤塚友美・著(宝島社)』の印税は、著者である赤塚さんの意向により、国際事件や人権問題に取り組む機関への寄付、そして沢田泰司氏ご遺族の手元に届けることとなっているそうです。

よろしければ是非、手にとってくださるよう、ひとりのTAIJIファンとしてお願い申し上げます。






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