だから、異端児でも大丈夫なのかもしれない。 | 迷い猫の見聞録

迷い猫の見聞録

「しなやかに美しく」をモットーにジャンルにこだわらず、
いろんなことに興味をもって、一日一日を大切に生きています。

昨日の

新体操の発表

観ていて

感じたのですが、

舞台メイク

というのは

自分の個性

隠す

メイク

でもあるなぁと。


新体操のメイク

とても派手

なのですが、

自分を美しく見せる

メイク

ではなく、

技を見せる

ための

メイク

なのですよね。


技は

個を超えて

他者と関係を持つこと

可能にする

のですよね。


目鼻立ちの美しさ、

スタイルの良さ

できるだけ

均す

ことで、

身につけた

競う

のですよね。


後天的なものが

ものを言う

と思うと、

THERE IS ALWAYS HOPE

だなぁ

と思います。


プロ

と呼ばれる方たちは

みんな

知っていること

なのでしょうが、

本来

舞台

というのは

匿名性

の中で

腕に技がある者

だけが

立てる場

なのだなぁ

しみじみ

思いました。


メイクをする度に

新体操の選手

自分が一番

という

思いを打破して

初心を喚起し、

何を見せるのか

何を隠すのか

采配を考える

のかもしれませんね。


きっと

誠実な

選手であればあるほど、

そうなのでしょうね。


そういうのを

自己知

というのかも

しれませんね。


小さいビーズ

を残して

今回は

お父さんの誘惑

(腕時計計算機)

に負けましたが、

大きいビーズ

仕上げました。


我が子

自己中

から

自己知

移行中

です。