受験シーズン
ですね。
寒波云々以前
から
受験シーズン
は
寒くなりますね。
子どものころから
の
疑問ですが、
試験日に限って
日本が寒くなる
のは
なぜ
でしょうね?
受験生
が
エネルギーを爆発させる
から
お天気のほうで
バランスをとっている
のかしら?
となると
うんと寒い年
の
受験の平均点は高い
なんて
法則があったりして
と
妄想したり。
けれど、
改めて思うと
エネルギー
と申しますか
動き
というのは
落差があるところ
に
生じるのですよね。
空気
も
温かいところから
寒いところへ
移動しますし、
水
は
高いところから
低いところへ
移動します。
空気
も
水
も
そのものには
動く力は
ない
のですよね。
物理学的なこと
は
分かりませんが、
空間的に
位置がずれると
落差が生まれる
のかもしれまんね。
一つ
が
二つ
に
分裂した瞬間
そこには
落差も生まれて
動きが生まれる
のかもしれませんね。
満杯になった
私
が
ぽこっと
はみ出て、
満杯の私
から
世界へ
砂時計のような
流れができる
のかもしれません。
流れきったら、
私は空っぽ。
すなわち
死ぬ
のかもしれないなぁ
なんて。
どちらも
満杯になる
ことはなく、
落差のうち
に
吸収されていきます。
そういう
落差を流れるもの
を
時間
と
とらえてみると
あらゆるものが
そのまま
引っ張られて
伸びていく
ような
イメージもわきますね。
宇宙の始まり
も
エネルギーが満ちて
分裂して
位置の違い
だけでなく
落差も生まれて
一気に流れ出した
のかしら?
人はどうでしょう?
うーん
抗うもの
として
意志
を
とらえると
この動きの中には
意志の入り込む余地
は
ない気がして
あったとしても
ずいぶん
無力なもの
に感じられますね。
けれど、
流れに乗るもの
と
とらえると
今度は
流れが
意志そのもの
と思えて
ずいぶん
力強いもの
に感じられるなぁ
なんて。
死ぬのが怖い
というのは
それだけ
幸せ
ということ
なのだろう
と
私などは
思ったりしますが、
それだけ
満ちている
ともとらえられて
それゆえに
知らず知らずのうちに
勢いよく
世界の側に流れている
といえるような気がして
理不尽だなぁ
悲劇的だなぁ
と思いますが、
幸福と不幸
が
ワンセット
というのは
理に適っている
ようにも
感じられます。
受験
は
合格でも
不合格でも
終わった後
に
お祭りの後
のような
さみしさ
がありました。
それが
受験
を
輝かしいものにした
気がします。
親になっても
そうなのかしら?