先生から話があった。

 

鎖骨骨折、足は打撲程度、軽度の肺挫傷。

 

左手は肘から粉砕骨折していて、破損の状態が酷かった。

 

最初の救急搬送で運ばれた時に手術して、

右足の大腿から神経をとり、左手の動脈に繋いでくれ、

骨の代わりにボルトなどで固定をしている状態だそうだ。

 

肩までは、触られても感覚があるがそこから下は感覚がない状態。

 

ずっとジーンとしている状態が事故してから続いていた。

 

これからのこと、左手の修復には時間が1年以上かかると予想され、

手術が7回から10回ほど必要になってくる。

 

これも治療を進めた決断をしたとしても

その間に感染リスクがあり、途中で切断するしかないこともあるとのこと。

 

最後まで手術ができたとしても少し手が動かせるかどうなるかといったところ。

 

まだ若いから十分に回復する可能性もあるのでそれに賭けるか。

切断して、左手とお別れするか。

 

来週までに家族と考えて決めてくださいとのことだった。

 

話を聞きながら、あーやっぱりか。

もう元のようにはいかんのかって思った反面。

話されて、すぐに自分の中での答えは決まっていた。

 

きっと、こんなに大きい事故をして生きていることの意味。

 

助けてもらった命をどうこれから生きていくのか。

 

他は元気なら全部左手が請け負ってくれるのかなと思った。

 

手の洗浄の手術があってその前に家族と少しだけ会えると話を聞いて

動きずらい手で今の想いを綴った手紙を書いて渡した。

 

 

入院3日目、ずっと絶飲食で許可が出たので

 

夜からご飯が食べられるようになった。

 

すごく覚えているのが優しいすごくイケメンの看護師さんが

食事介助をしてくれて久しぶりのご飯を食べた。

 

薄味の野菜を煮たやつ、おかゆ、吸い物とかだったと思う。

 

久々すぎて、何でもすごく美味しく感じた。

 

入院4日目

 

右手は異常なしで自分でご飯も水分も摂れるようになり、病棟の移動が決まった。

 

ERへ移動すると今までのICUとは違い

隣とは相変わらずカーテン1枚で区切られている状態だけど

テレビが見れたり、お茶以外も飲めたり差し入れも受け取る事ができた。

私は、ずっとダカラが飲みたい欲が強く妻にダカラをリクエストした。

 

妻が病院へ先生に状況を聞きに訪れたときに差し入れや必要なものを届けてくれた。

 

ダカラ、ゼリー、テレビカード、手紙を受け取った。

 

妻からの手紙、友人からの手紙を読んで、何度も読み返して泣いた。

励まされて、幸せだなとこんな状況だが思った。

 

差し入れで持ってきてくれたダカラが異常なくらい美味しくて、美味しくて感激した。

ほんと涙流すほど美味しかった。その日からダカラが大好きになった。笑

 

そして、初めてのリハビリ。

もうリハビリするんや、はやっって思った。

 

ずっと寝たきりだったのでまずは車椅子に座る練習から始まる。

 

頑張ってベッドから立ち上がり、車椅子へ移動する。

足が輸血した関係で浮腫みがすごくて重たかった。

だけど、立つこともできたし足も大きな怪我はないかなとその時思った。

 

20分くらい座っている事ができた。

1つ進歩した気がして嬉しかった。

 

リハビリの先生から

「車椅子に座れるようになれば廊下にでて、面会する事ができるので

 頑張りましょうね」と言われて、さらにやる気が出た。

 

入院5日目

 

また左手の手術。説明されてもあんまりわからんだ。

私の左手はどうなるのやら。

手術した箇所を消毒とか洗浄する手術みたい。

左手には大きいボルトみたいなのが入ってる。

ビビリな私は左手はあまり見ないので状況はわからない。笑

感覚は事故した時から全然ない。

きっとダメなんだろうな。どこかでそう感じてた。

入院して3日目

 

やっと、意識がはっきりしてきて安定してきたので

口の管が外れた。久しぶりに声を出すことができた。

 

その時、自分の声がちゃんと出ることを再認識して安心した。

 

あ〜ちゃんと話せるんや。よかった。

 

その日、看護師さんから

「奥さんが書類を持って病院に来られますけど何かお伝えしておく事ありますか」と聞かれ、

 

私は、目が悪く普段はコンタクトレンズをしていて

コンタクトレンズがないと全てがモザイクが入っているような感じで

ほとんど見えないに近い。

 

なので眼鏡を持ってきてもらえないかお願いした。

来るので妻に会えると期待したが、すぐに看護師さんの話を聞いて落胆した。

 

「わかりました。お願いしておきますね。コロナ禍なので面会はできないので

 持ってこられましたらお届けしますね」

 

何も見えないまま心電図や機械音と天井を見つめて、時間が過ぎる。

 

夜に妻が病院を訪れた。

 

看護師さんがきて、「少しだけですよ」と妻が病室に来てくれた。

 

眼鏡を受け取り、眼鏡をかけると涙ぐむ妻が見える。

 

私も感情がこみ上げてきて、2人で涙を流した。

それから、私が寝ていた間の3日間の事を話してくれた。

 

家族の事、友人の事、皆んなで私の事を祈ってくれていたこと。

 

「本当に生きてくれていてありがとう。頑張ってくれてありがとう。

 これから一緒に頑張って行こうね。私がいるから私が頑張るから

 何も心配しなくていいからね。」

 

その言葉を聞いて、私はなんて恵まれている人間なんだろうか。

本当に生きていてよかった。

 

こうして顔を見て話せることがどれだけ幸せな事なのか。

 

私はいろんな人に助けられて、守られて、まだまだ人生続けなさい。

これからも歩んでいきなさいって言われている気がした。

 

自分自身が置かれていた環境、この状況になって気付かされることばかり。

 

生きてて本当よかった。私は幸せ者でしかない、そう思った。

 

私は妻に「私は本当に幸せ者だ。ありがとう。」と伝えた。

 

そこからは、心配していた現実的なお話に変わる。

 

家計は、私が全て管理して支払いなどもしていたので

引き落とし日が近かったので、お金の事、保険関係の事を伝えて

必死にメモをとる妻。笑

 

事故の保険はどうなているのか。労災で手続きできているのか。などを

聞くと周りの人に助けてもらいながら手続きできたとのことで安心した。

 

「何も心配しなくていいからね。皆んないるから大丈夫

 携帯電話も今修理に出しているからね、じゃあまたね」

 

とその日は時間が来て、バイバイした。

 

妻が帰ってすぐ私はまた1人で泣いた。

 

改めて、生きていて本当によかった。神様ありがとう。

 

これから頑張ろうと心に決意した。

 


目を覚ますと、管がいっぱいのベッドに寝ていた。

 

不幸中の幸いなのか。

 

私はものすごく目が悪く、

目を開けると天井がうっすらと見えるけどずっと天井を見てた。

 

口は呼吸をする為に管が入ってて違和感と気持ち悪さがあった。

 

左手の感覚はなくて、でも手を見ると固定されて吊るされていた。

 

2日間くらいの事はあまり記憶にない。

 

覚えてるのは、

夜中に目が覚めて事故した時の記憶が蘇って何度も目が覚めた。

 

壁一枚挟んで音や人の声が聞こえる。

涙ぐんでる声、膝から崩れ落ちる音、叫ぶ声。

 

怖かった。

 

自分もこうなるんじゃないかって。

何度も思った。

 

でも大丈夫。生きてるって何度も自問自答した。

 

天井を見上げながら、いろんな事を考えた。

 

妻の事、両親の事を考えた。心配しているだろうな。

 

仕事のこと。夜勤だったのに迷惑かけたな。

 

これからどうなってくんやろ。

働いていけんのかな。事故は労災になるんやろうか。保険大丈夫かな。

 

とかって思ってたけど。

今考えると不思議やけど、恐怖もあったけど

こんな大きい事故して、生きてるだけでも奇跡やし、

なんで自分がとかはなくて、

でも割と前向きに生きてるからなんとかなるよな。

 

誰にも会えない事が一番辛かった。

生きていること。

生かされたこと。

 

皆んなに助けられたからはよ元気にならないとあかんなって。

 

私は、今の妻と出会って、結婚して、幸せ者やなって。

周りに恵まれている事に感謝した。

 

コロナ禍で誰にも会えなかった。

搬送される前に服を全部切られた。

あいまいな記憶の中で救急車に運ばれて、

気づけば病院の診察台の上に寝ていた。

 

目を覚ますと携帯がバキバキになってて

連絡先が分からず、家族の連絡先を聞かれて、

あいまいだったが妻の電話番号を伝える。

ラッキーなことに番号があってて、妻につながった。

 

仕事が気がかりで職場の名前も伝え、妻に連絡するように伝えて欲しいと伝えた。

 

妻も仕事が終わり、職場の事務所で残っていると

知らない番号からの電話。検索すると○○市の病院の番号だった。

 

妻の父の実家の近くの病院だったので、後から聞いた話では

父に何かあったのかと思い、急いで電話をかけなおしたと言っていた。

 

妻が病院に電話すると、「私が事故して救急搬送されたので病院に来てください」との事だった。

 

私の状況も分からず、妻は心配でいっぱいだった。

すぐに私の両親、妻の父、兄に連絡をしてくれた。

近所に住んでいる先輩夫婦にも連絡し、一旦自宅へ戻った。

 

妻が職場へも連絡してくれた。

 

少し距離がある病院だった為、妻の兄が来てくれ妻の兄の運転で病院へ向かった。

 

妻が病院へつき、状況がようやくわかり手術が必要であり、

搬送された病院では難しく、違う病院で手術することになり、救急車で搬送された。

 

救急車の中での記憶はほとんどなかった。

妻は血だらけの私を見て涙ぐんでいた。

運ばれている最中も腕からは血がどんどん溢れ出していた。

 

妻は手を握りながらずっと私を励ましてくれた。

私は、記憶がなくそのまま病院に着いた。

 

病院に着くと、主治医の先生から手術の説明をされた。

 

「左手が粉砕骨折しており、損傷が激しいので今から手術をします。

最悪の場合、切断することになります。」と言われて、

「はい」と返事した。

 

その時、自分で言葉も出たしちゃんと自分で考えられているから

頭は大丈夫って思った。

 

そのまま麻酔されて、手術が開始された。