ウェンディアンドピーターパン

@オーチャードホール

 

感想つづき。

 

前回は、ネバーランドは死後の世界で、大人にならない子供たちは死んだ子供であろうという話と、フック船長は時間に追われる大人を投影した存在であることを書きました

 

今度は、また全く別のポイントです。

 

『大人になる』ことの男女差について、書いてみる。

 

ネバーランドにいるロストボーイたちは、全員男の子。

彼らは、ウェンディがネバーランドにやってくると、「ピーターパンが僕らのお母さんを連れてきた!!」と、それはそれは大喜び。

 

いや、なんでやねーん!

 

お母さん』を心待ちにしている男の子たち。

女の子が来たら、誰だか知らないのにいきなり『お母さん』だと思い、ウェンディをお母さん役にしてしまう。

彼らは『お母さん』に、過剰な夢を見ており、ご飯やお菓子を作ってくれたり、洗濯してくれたり、ハンカチにアイロンをかけてくれたり、本を読んでくれたり文字を教えてくれたり、以下略・・・

と、神様のごとく何でもやってくれる存在だと思っている。

 

ウェンディだって、子供なのに。

たぶん、ピーターパンと同じくらいの。

でも、女の子だから。なんで女の子だからお母さん役なの

 

ロストボーイたちがウェンディに、お母さんあれやってー、これやってー、と口々に同時に違うことを言い、「お母さん〇〇はどこー?」「僕の△△がなーい」と口々にお母さーんお母さーんとウェンディを呼んで、怒ったウェンディが、

 

物は!!自分が!!置いたところに!!!あるの!!!!!

 

って、叫ぶように言うシーン、すごく大好きだし、もうわかりすぎてヤバい。

うちは男3人兄弟なんだけど、私一日に何回もこのセリフ叫びたくなってる!!!

 

男の子のお母さん依存ってヤバいよね!!というのが象徴的に表現されているシーンだ。

 

 

ピーターパンとウェンディは、ちょっと恋をしたような雰囲気になるんだけど(ハッキリそう言い切れない感じが子供)、

ウェンディが「キスしてあげる!!」と言うのに、ピーターパンは意味がわかっていなくて、ウェンディからもらった指ぬきを『キス』だと思って、自分はボタンを『キス』だと言って渡したり、終盤には、ウェンディがお母さんで僕がお父さんになったら面白いよね、みたいな、大人ならほとんどプロポーズやんみたいな話もするのに、

 

家族はごっこ遊びでいいや

 

と、お母さんは求めるくせに、自分がお父さんになることは拒否してフラフラっと子供の遊びに戻ってしまう

 

えっ?そういう男、成人でも普通にいるよね!?

 

さっきのロストボーイがお母さん依存なのは子供だから笑えたけど、このシーンで、ああ、現実によくいる大人になりきれない男を示唆してるんだろうな、と思った。

 

ピーターパン自身は、前回の記事で死んでもう歳をとらない子供と解釈してるから、実際本当に大人になれないしウェンディと結婚もできないんだろうけど、そんなピーターパンに、大人になれない(なるべきなのに)男たちを投影してるんだろう。

いわゆるピーターパン症候群いうか。

 

っていうか、今Wikipedia先生でピーターパン症候群について調べたら、

 

大人という年齢に達しているが精神的に大人になれない『男性』を指す言葉

 

ってハッキリ書いてあるし、なんならめっちゃしつこく男性に限る点を強調してる(笑)気になる人はググって。

しかも、私が書こうと思ってたこと大体書いてあったわ(ガーーン!!)

 

 

更に、ウェンディのお父さんとお母さんもそういうところあって、お母さんが不満を持っていて。

ジョンがお父さんに「いつ、ママが『ハンカチにアイロンかけてくれる人』だってわかったの?」(=ママと結婚しようと思ったの?)、という、なんでアイロン係呼ばわりなんだよみたいな表現をあえてしてたり。

随所随所に、

女性、お母さんを、面倒なことを全部やってくれる存在と認識している男ども!

を揶揄した表現が見られるんよね。

 

最初に書いたロストボーイがウェンディにお母さんお母さん言うシーンは、男の子の子育て大変だよね風に描かれているけど、大人の男性も、この子たちと一緒だよねぇ~、みたいな皮肉を感じるような、全体的に結構男性をディスった作品になっている(笑)。

 

 

理解のない夫に「とっととうせろ!ジョージ!」と言い放つお母さん。

同じく、「とっとうせろ!!」とピーターパンに言い放つウェンディ。

一方は大人の夫婦、一方は子供の男の子と女の子なのに、女側が、精神的に稚拙な男側にイラつく描写がリンクしている演出も面白い。

 

家事もだけど、特に子供に関してどこか他人事なところが妻の怒りを買うのがちょいちょいしっかり描かれてる。

トムの死に対する、お父さんとお母さんの温度差が不和を招くのなんてすごく顕著。

サラッとしてたけど、お母さんが職探しに出かけている間、子供たちはネバーランドに行って不在だったわけですが、お父さんはそれに気づいておらず、帰ってきたお母さんに「子供たちは?」と聞かれてしどろもどろ。

あるあるー!!!!やっべぇなこのお父さん!!って思いました・・・

 

いやもう特に子供産むとひしひしと感じるけど、こっちは生活の全てが子供中心になって、自分の全てを犠牲にして母親になってしっかりしなきゃいけないのに、夫は何一つ生活が変わるわけでなく父親になりきれなくて、飲んで帰ってきて、ぐっすり寝て、お母さん(妻)にハンカチにアイロンをかけてもらって当たり前と思っている→産後の妻激怒、みたいな流れは、普通によくある。

ほんとに、大きい長男とはよく言ったもので。

 

現実には、子供のいない大人もいるし、お父さんでも子供な男はいるし、ある程度大人でも女から見たら稚拙に映ることは多々あるし、お父さん=大人と簡単に言えるわけではないけど、作中においては「お父さんになる」が大人になる覚悟の象徴の一つとして使われていたと思う。

 

 

一方で、ウェンディやお母さんは、女の子の扱い、お母さんの扱い、男の子らしさや女の子らしさに疑問を感じ、女性として自立しようとしているのが描かれているのも良かった。


ウェンディは、弟たちとの遊びの中で女の子は海賊になれないことに疑問を抱いていたし、女の子だからってお母さん役を強いられることにも疑問を感じていた。

そして、女の子だって海賊と闘う!!私強いのよ!と、クライマックスには剣を持って海賊と闘うのだ。

ティンカーベルやタイガーリリーとチームを組み、得意不得意を補いあって、チームとして強くなるという戦略やコミュニケーションを使って、男の子と同じ土俵に立つ。

(少なくとも海賊やピーターパンたちに、そういう戦略の描写はない)


ウェンディのお母さんは、専業主婦をやめて仕事を見つけてきた。

「そうすればあなたは仕事を減らせるでしょう」=家のこともできるでしょう?

と。

いいぞいいぞ!!

 



さっき少し書いた、ピーターパンとウェンディがピーターパンが大人になれないがために結ばれずに終わるのはすごく好き。

ウェンディは、大人になれないピーターパンに見切りをつけて、自分は大人になりに現実世界に帰る。

大人になれない男とは結ばれたくないよね

大人になれない男と結婚すると大変なことになります。好きな人や恋人がピーターパンだったらネバーランドに放置して別れるべき。

 

最後のシーン、子供部屋の窓にピーターパンが現れて終わるんだけど、それがとっても悲しげで不気味!!

ウェンディ一家が笑顔に戻ったシーンの後、ウェンディたちに会うわけでもなくただ寂しげに窓からじっと、見てる。

・・・幕!!

 

こっっわ!!!

 

え!ピーターパンってこんな怖い終わり方だった!?!?

ってくらい、衝撃的な、なんとも悲しい感じを残して終わった。

 

大人になれず、好きな人と同じ世界にいられない、楽しい子供の世界にいるはずなのにどこか悲しいピーターパン

のような男たち

 

ピーターパンが、かっこいいヒーローでなく、どこか大人になれない悲しいダメ男を感じさせる描かれ方をしているのが、面白かった

 

 

 


 

 

…で、前回の記事と総合すると、辻褄を合わせるのがなかなか難しいんだけど…

 

ピーターパン&ロストボーイがピーターパン症候群の大人になれない男たちを指していて、ネバーランドが死んだ子供の世界だとすると、現実には「子供のうちに死んだ子」と「大人になれない男」の行きつく先が同じになるわけで、それはもう、大人になれないヤツはもはや子供のまま死んだも同じ!みたいな終わってるメッセージに解釈することになってしまうんだが・・・

それとこれとは分けて考えるべきなのだろうか!?

 

だけど、少し希望を持っているのが、ロストボーイたちがフック船長をやっつけて海賊船を乗っ取るでしょ。

あの海賊船乗っ取りは、その後子供たちが海賊船で遊ぶんじゃなくて、新たな次世代の海賊の誕生を示唆してるんじゃないかと少し思っていて。

フック船長も、「私も昔はロストボーイだった」と言っていたし、ロストボーイ→海賊への変化はあるんだと思う。

 

もう死んでいて歳を取らない説と相反してしまうんだけど、ファンタジーだから(笑)もしかしたらだけど、あのロストボーイたちは海賊になったら、大人になるんじゃないだろうか

海賊になって、ロストボーイ(子供時代)と闘う。(現実的には一人の人間の心の中の話)

子供時代を倒したら、大人になれるんじゃないだろうか。

そうして、時間を知り、時間に追われ、子供時代を羨みながらも、大人になって、お父さんになったりできるんじゃないだろうか。

 

それでね!!!

これも気になっていたんですが、フック船長とウェンディのお父さんは、同じ堤真一さんが一人二役演じてらっしゃるんです。

別に出番が全然被ってないからとかじゃない。多分、裏では忙しく着替えて、あえて同一人物が演じているんだと思う。

 

フック船長は、かつてロストボーイだったお父さんが、子供時代を倒して、時間に追われる大人になり、お父さんになり、だけど子供時代を羨んだり、自分の中の子供っぽさを一生懸命倒してる心の現れなのかなー!?とか考えてみた。


もしかしたら、男の子は、ロストボーイに始まり、大人になっても、自分の中のロストボーイと戦い続けてるのかも。

 

 

 

 

また長くなってしまった。

 

次で最後にしたい。

最後に、素晴らしかった役者さんたちや演出についてとか、ちょこちょこ思ったこと書いておきたいと思う。