ウェンディアンドピーターパン
@オーチャードホール
 
 
観てきました。
 
ああ、私はこういう演劇が観たかったの!!!
 
と、久しぶりに叫びたくなるような、上質な演劇でした。
 
誰もが知るピーターパンのお話。
大まかなストーリーはほぼ同じだけど、ウェンディの視点からも見た新しいピーターパン。
…とのふれこみだけど、ウェンディ、ピーターパンの他に、フック船長やダーリング夫妻など大人の視点もよく描かれていて、要は色々な立場から見たピーターパン(=子供から大人になることへの反発、あるいは克服)が映し出されていて、とても面白かった!!
 
童話だと思ってたピーターパンに、こんな意味があったなんて!こんな見方ができるなんて!という、目から鱗でいっぱいで、ゾクゾクしたし、色々なテーマが盛り込まれていた。
 
出だしから、童話と違って衝撃を受けたんだけど、ダーリング夫妻には、ウェンディ、ジョン、マイケルの他に、トムという末っ子がいて、その子が、多分現実には病気で死んでしまったんだと思うんだけど、ピーターパンがやってきて窓から連れて行ってしまうのです。
そして、ウェンディたち3人はトムを探しにネバーランドに行くというわけ。
 
そんな!!ピーターパン、トート閣下みたいな仕事してんの!?!?え?大人にならない子供の世界の楽しい子じゃないの!?
(しかも、まさにTDみたいな、ピーターパンの影ダンサーズが出てきて飛び回り、連れ去っていく。個人的にテンション上がる)
 
冒頭から、これは・・・ただのお話じゃないやつやな、と、腹をくくる展開。
 
そんなわけで、ピーターパンとは何ぞや!?というそもそも論から考えなければいけない羽目に。
 
 
ピーターパンは死神なの!?
ネバーランドはあの世なの!?
 
ネバーランドには、大人にならない子供たち、家から消えてしまった『ロストボーイズ』がいる。そのリーダーがピーターパン。
物語の終盤にわかることで、終盤の内容を先に言ってしまうけど、消えた子供(死んだ子供)は、星になる。お母さんの悲しむ涙を映してキラキラ光る星になるそうだ。
 
ウェンディの家族は、トムの失踪(=たぶん死)から1年、笑いが絶えてしまった。
お母さんはトムの死を悲しみ続け笑うことはなく、子供を亡くしたにもかかわらず普通の暮らしをするお父さんとの間に不和が生じていた。
ウェンディもトムに固執して、ネバーランドで必死に探そうと孤軍奮闘するんだけど、ピーターパンやロストボーイ、弟たちでさえ、全く非協力的で飄々と遊んでばかり、ウェンディ1人がもがき、非協力的な弟たちにイライラしたりしている。
弟を必死に探そうとする真面目な姿が、ロストボーイたちやピーターパンとの対比で、なんだか滑稽に見えてくるのが怖い。
ウェンディの姿を見てピーターパンはティンカーベルに、「(今の状態の)ウェンディには見つけられないよ」と、鼻で笑う。
 
弟たちでさえトムを忘れそうになって遊んでいる姿に、ウェンディは、「私がトムのこと忘れないようにしないと!!」と更に必死。
ピーターパンは、「忘れるんじゃないよ」「悲しむことを忘れるんだよ」と諭す。
 
ウェンディはネバーランドでの冒険を通じて、本当の自分の生き方を見つけていき(←すっごい略した!)、本当に楽しいと思った時、そしてたぶん現実世界でお母さんが新しい仕事を見つけて前向きに生きて行こうとした時と同時なのかな?と思うけど、最後にトムは、星からネバーランドに降りてきて、ロストボーイたちの仲間になり、彼らと永遠に楽しく遊ぶことになる。
そして、それを確認したウェンディは、トムがネバーランドの子になったこと(=現実世界での死)を受けとめ、家に帰り、家族は前を向いて明るく生きていく。というラストになる。
 
やっぱりネバーランドは、あの世なんだろうな。
歳をとらない永遠の子供と言うのは、大人になる前に死んでしまって、歳をとることができない子供たちなんだろう。
ずっと子供でいられる楽しい世界って単純に思ってたけど、なんか、ちょっと違うかったんだな。
 
それで、そういう子供たちの話というより、結局、残された家族が子供の死をどう納得して乗り越えるのか、という話なんだろうな。
死ぬのが子供というのもあって、あまり軽率に言えない話だけど。
ざっくり言うと、その子のことは忘れないけど前を向いて生きていこう、そうすれば死んだ子はネバーランドに行けるから、みたいなことかな。
 
この話も、全体を通して大きな軸は、ダーリング一家が、トムを失ったことで笑顔を失い家族関係が悪化し、でもそれを乗り越えていくという話だ。
 
ピーターパンにも、かつてはお母さんがいた。でも、ロストボーイになった。
お母さんに会いたくて、見に行ったら、もう他の赤ちゃんがいて、お父さんとお母さんが笑ってたという。
ウェンディはそれを聞いて「悲しかったでしょう」と言うんだけど、ピーターパンは「全然!!」と、信じられないといった顔で答える。
なんとなくだけど、ネバーランドにおけるピーターパンの力の源って、ピーターパンを失っても強く明るく生きているお母さんの力なのかな、とか思った。
 
 
 
フック船長 VS ピーターパン
時間を恐れる大人 VS 時間を知らない子供
 
一方、ネバーランドにはフック船長率いる海賊もいて、落ちる場所によって、ロストボーイズが海賊かのどちらかになるらしい(そうなん!?)
あの世である(と推察される)ネバーランドに、これから死を待つ大人であるフック船長が同時に存在するのはちょっと謎で、どう解釈していいかわからないんだけど・・・
もうこれは、ネバーランド自体が大人の空想で(当たり前だけど)、なんかわからんけど、死んだ子供(ピーターパン達ロストボーイ)と、生きてる大人の幽体離脱した魂(フック船長たち海賊)が同居してるって思うしかないだろう。
大人の色々な思いをなんとかうまく消化したり投影したりするための場所なんだろう。
 
そう、大人の心がフック船長なのよ!!
フック船長の堤真一さんの演技が本当に凄味があって、セリフの一つ一つにものすごい重みがあって、一言も聞き逃せない突き刺さり感があった。ただの悪役じゃない、大人みんなの中にある恐怖を体現してた。
フック船長が恐れるワニ。お腹の中に時計が入っててチクタク音がするあのワニ。あれは、まさに「時間への恐怖」を表している。限りある時間、死へとカウントダウンされていく時間、自分に残された時間が無くなることつまり死への恐怖・・・
衝撃でした。
 
「チク・・・タク・・・」と恐ろしい声で時計を持って(たか忘れたけど)海賊船の周りをウロウロするワニは、可愛いワニ着ぐるみでも何でもなくて、死を思わせる死神のような不気味な人間の姿。
大人にとって、死へのカウントダウンが身近に迫りくる恐怖が、あのワニへの恐怖なのだ
 
更に、大人にとって恐ろしいのは単純に死への時間が近いということだけではない。
ピーターパンと闘ってあと一歩のところまで追いつめるも、ピーターパンを殺すことができないシーンにて。
「お前の命が欲しいわけではない」
「若さが欲しいわけでもない」(とか、他にも言ってたかも)
 
時間がほしい
間違っても許された時間
将来を夢見ることができた時間
失敗しても教訓にできた時間
時間というものを知らなかった時代に戻りたい
(正確なセリフじゃないかもしれないけど、そんなことを言っていた)
 
ああ!!本当にそう思うよ!!フック船長!!
 
大人の辛さを吐露し、ピーターパンの子供の時間を羨み妬む、フック船長。
ゾクゾクした。
時間に支配されること自体、限りあると知っていること自体が苦であり、時間を知らなかったり忘れたり、あるいは限りないと思っている子供とはそこが決定的に違う。
単純な時間だけではなく、時間に囚われない心が。
無邪気とか遊べるとか、そういうのも子供の要素だけど、「大人になりたくない」あるいは「子供に戻りたい」という大人の気持ちの本質でもあり、大人と子供の決定的な違いは、そこなんだよ。
 
全然違う場面で、「時間を無駄にしたな」って、サラッと言う台詞があるんだけど、とてもとても重かった。
大人、残念!!ってところを、サラッと突き付けてきた。大人はそういうことを考えるんだよね。
 
常に時計を見て、時間に追われ、時間がもったいない!と効率性を求め、寄り道したり草をいじったりアリを追いかけて冒険する子供に「早く!」とイライラしながら手を引っ張って急いで帰ろうとする私が、本当に本当に残念で惨めな大人に感じた。
このあと晩御飯の支度と、お風呂の準備と、それから、あ、天気予報見たらもうすぐ雨が!!洗濯物―!とか考えずにさ、あの子たちとゆっくり、アリがどこまで歩いていくのかついていけたら、楽しいだろうね。
 
 
私はフック船長・・・子供時代を倒した男
というセリフも印象的でずしっときた。
 
子供代表であるピーターパンに対し、フック船長は全大人代表なのだった。
ピーターパンとフック船長の闘いは、童話にあるただの海賊とヒーローの闘いじゃなかった。
子供と大人の闘い。もっと言うなら、大人と、戻れない子供時代への憧憬との闘い、あるいは、子供と、なりたくない大人との闘いなんだろう。おそらく現実には一人の人間の心の中の。
 
 
時間だけでなく、心も描かれていて、ピーターパンは「楽しいことを考えるだけで飛べる」と言う。
フック船長は飛べない。無邪気に楽しいことを考えられない、想像力を失った大人の悲しさよ!
うちの息子は飛行機に乗って空飛んでるのに、私には畳の上に置いた段ボールに入っているようにしか見えない。
 
 
子供の頃見たピーターパンでは、ピーターパンが主役で、子供である自分は、ピーターパンや子供たちに感情移入していたと思う。
だけど、大人になってしまった。
敵役であるフック船長の方になんだか感情移入してしまうという衝撃的展開に
 
時間の恐怖も極論は死であり、ネバーランドも死後の世界であり、童話と見せかけてすごく死と時間について考えさせにかかってくる話だった。
 
 
 
まだまだ他の切り口から考えたいこともあって、書きたいことは色々あるけど、長くなったので一旦ここで。