*●w●){ちょっと本気でアニメ考察#20【スラングも悪くない】 | 小新井涼オフィシャルブログ「もし現役大学院生(仮)が毎週アニメ100本みて感想をブログに載せたら」Powered by Ameba

Twitterやブログにおいて、小新井自身もネットスラングや記号じみた表現、テンプレや敢えて間違った表記をする文面での表現をよくします。

文章書きさんや国語の先生などには怒られてしまいそうな・・・ある意味正しくないと言われてしまう日本語ではあるのですが、私はそれらの表現方法が結構好きです。ってそもそも好きじゃないなら使わないか。

時には汚い表現と言われてしまったり、それこそ多数の方々の目に入るネットなどの場でそう言った言葉を使うことを快く思わない方もいると思います。
恐縮ですがそこは個人の情報リテラシーにお任せさせていただくことにしつつ・・・
とは言えスラングを使うにしても時と場合と場所は選んで使おうとは思ってますこれでも。

という前置き兼言い訳は置いときまして、アニメに一見関係ないように思われるかもしれない今回のテーマですが何故取り上げようと思ったかといいますと・・・それは個人的にこの考察と対になっていますアニメツイートにおいてそのような言葉を用いた表現をすることが多くそれをどういった意図で小新井が使っているのかちょぴりでも伝わったらいいな。なんて思ったからであります。
あとネットを多く使う方=アニヲタという図式は必ずしも成り立たないとは言え、そういったスラングやテンプレなどはヲタ用語と相まって生まれることも多いのではないかなーという印象もあったからです。


そもそも正しい日本語ってなんだろう?と考えたときに最初い思い浮かぶのが標準語だとして、では間違った日本語っていうのはなんなのでしょうか。
「同じ言語を習った人なら誰でも分かるように定めた言語表現」の基礎となるものが標準語として、それを遵守するのは根底にあるべきだとは思いますが、だからと言ってそれ以外の言葉を使ってはいけないことはないですよね。

ボディランゲージや音や視覚的な効果や場の雰囲気まで、言葉という範囲を超えた伝達方法は沢山あります。だったら言葉という表現方法も標準語という範疇を超えても結構伝わるんじゃないかなーという勝手な期待です。

個人的に忘れちゃいけないと思っている言葉に「型破りなことをするにはまず型を作らなきゃいけない」というのがあります。
ここにあるように、あくまで標準語という軸ありきの・・・でもそれだけに囚われない新しい表現を創ることは悪いことじゃないと思うんです。

そもそも今一般的になっている言葉だって元は誰かが創ってそれに関する共通認識が広がったから定着しているに過ぎない訳であって、そう考えると一般的かスラングかっていうのは認識を共有する人の多少の差なのかなあとか思ったり。

とは言っても認識を共有する範囲を制限することによって言葉が排他的になってしまいそれは表現を広げることには繋がらなくなってしまいもするのですが、一方で限られた仲間内でしか伝わらない言葉だからこそその場で使える喜びや仲間意識が強く持てたりすることもあるのでそこは偏に悪いこととも言いたくないなとも思ってしまうわけで。
というのも私が時々意識的に使う間違った日本語表現やニュアンスに頼った表現が恐らくそのどちらにも当てはまってしまう「伝わる人にだけ伝われー」表現になってしまっているからです。

小新井がよく使うのは・・・例えば「ドキドキ」や「可愛い」などの表現から始まり、「キラキラ」とか「はわわ」とか、最終的には「///」や顔文字などの記号表現まで様々です。
昔同人小説を書いていたころに個人的な好みで///や;などを使うものはあんまり読まなかったし自分でも使いたくないなーと思っていたのもありまして、作品の中に自分の存在が見え隠れしたくないなと思うものに関しては使わなかったりしますし、個人に宛てた連絡文章など特定の対象への伝達に関しては使わないことも多くそれこそ時と場合と場所を選んだりはするのですが、逆に自分の声や気持ちを発信したい場、例えばツイッターやブログなどでは使いたいように使うことにしています。
そういった表現が多い場への慣れもあるのかもしれませんが・・・殊自分の気持ちを表現する場においては標準語や文字だけでは表せない心の動きとか温度とか息遣いなどが、記号やスラングや意図的に標準と異なった表現を使うことで読んだ人の頭に音としてイメージとして伝わるような気がするんです。

なんだろう、こう考えてみると伝達・・・ではなく発散表現なのかなあ。

不特定多数にポーンと飛ばす情報、という意味ではなんだか舞台とか歌とかラジオですとか、そういった場で使う表現にも通じるところがある・・・なんていっちゃえば聞こえはいいかもしれませんが、会話のキャッチボールが出来ないからといって一人で行ってる会話の千本ノックみたいなものですね。
あらーなんだか傲慢ですかね。

でもそんな一見意味不明にも見える文字表現の中に普通の表現だけじゃ伝わらないような気持ちや考えが見え隠れしたらなんだかワクワクするんじゃないかなーとか勝手に思っているのであります。

なんで長々と語ってきたはいいものの・・・実は当初話そうと思ってたことと大分かけ離れてまた突っ走ってしまい少し反省中。
こうなんといいますか、根底は大事ですがだからってそれ以外を全て排除するのもそれは排除しようとしている表現の排他的な部分と一緒じゃないですかねーってことでした。
うむ。生意気言ってすみませんが私個人の素直な考えでした。