先月訪問した由布院・岩下コレクションの展示車の続きです。
今回は、ホンダが1950年代に発売したスクーター、ホンダ・ジュノオです。
戦後の国内オートバイ市場では、富士重工のラビット、三菱シルバーピジョンがリードする形で
スクーターのシェアが広がっていっていました。ホンダもスクーター市場に挑戦することに
1954年1月に発表された、最初のジュノオK型。
排気量189㏄、7.5馬力の空冷4ストロークOHV単気筒エンジンを搭載するモデルで、3速MT、
始動方式はセルモータを備えていました。
車体は、ボディカウル部分をFRP製とし、アクリル樹脂製大型ウインドシールドを装備
車体は、ボディカウル部分をFRP製とし、アクリル樹脂製大型ウインドシールドを装備
するという、他のスクーターに比べて凝ったものでした。
しかし、ライバル車に対して重いことからパワー不足を露呈。
しかし、ライバル車に対して重いことからパワー不足を露呈。
大きな車体は取り回しが大変であった為、ホンダ初のスクーターは、販売面で思わぬ苦戦を
強いられることになりました。
ジュノオKA型。
販売面での苦戦を挽回するため、排気量を220ccにUPしてパワー不足を補った改良モデルです。
更に、装備を簡略化して軽量化を図ったKB型も投入されましたが、デビュー翌年の1955年、
ジュノオK型シリーズは合計約5000台で生産中止となっています。
ジュノオM型。
ジュノオKシリーズの失敗でスクーター市場から遠ざかったホンダは、1961年、スクーター市場
に再び参入。ジュノオの名称を復活させたジュノオM型を発売します。
1961年に発売されたジュノオM80は、4ストローク水平対向2気筒124ccエンジンを搭載し、
翌1962年に発売されたジュノオM85は、同169ccエンジンを搭載していました。
しかし、販売面ではまたもや苦戦を強いられ、1964年に総販売台数5,880台で生産終了する結果
しかし、販売面ではまたもや苦戦を強いられ、1964年に総販売台数5,880台で生産終了する結果
になりました。
結局、ホンダのスクーターが市場で復活するのは1980年代まで待つことになります。