2020.10.17世界遺産・軍艦島クルーズ(端島炭鉱跡/三菱重工/女神大橋/経済産業遺産) | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)

 

本日は、午前中に自宅を出発し、長崎市にやって来ました。

 

 

目指すは、世界遺産・軍艦島。

 

 

私たちはこのクルーズ船で軍艦島上陸ツアーに向かうことになりました。

 

 

対岸の三菱重工長崎造船所には、世界遺産のジャイアント・カンチレバークレーン

が見えています。

 

 

実際の出航まで1時間ほど待たされましたが、ようやく軍艦島クルーズが始まり

ました。長崎港の象徴というべき女神大橋。

 

 

造船所には頼もしいイージス艦らしき姿が・・・・。

 

 

ドック内ではもう1隻建造中?

 

 

長崎市のリゾート地、伊王島。

 

 

幕末に佐賀藩が築いた四郎島の砲台跡。

 

 

かつて、軍艦島(端島炭鉱)と並んで良質の原料炭を算出していた高島炭鉱が

あった高島。

 

 

国内最大級の造船所、三菱重工香焼工場。

クレーンの三菱マークを囲む白い部分だけで、テニスコート1枚に匹敵する、と

説明するだけでもこの工場の大きさがわかろうというものです。

 

 

軍艦島が見えてきました。

 

 

クルーズ船は右に左に旋回しつつ、軍艦島の周囲を一周してくれました。

こんな小さな島に最盛期5000人以上が住んでいたとは信じられないです。

 

 

感激の軍艦島初上陸!

上陸ツアーといっても、島の全域に入ることは許されておらず、認可された

各旅行会社共通の見学道(主として南側の鉱業所付近)をガイドに率いられて

見学することになります。

 

 

第一見学場。

ドルフィン桟橋を登った場所には、石炭を積みだす貯炭場が広がっていました。

因みに、一番下の写真で正面に見えるのは端島小中学校の跡で、手前の

体育館は、島内で最も新しい(1970年竣工)にもかかわらず、最近の台風で倒壊

しています。

その上の写真で左上の高台に見えるのは、幹部職員用宿舎の3号棟で、個室の

風呂を備えた島内では比較的設備の整った高級住宅でした。

長崎県庁職員の初任給23,000円の時代、端島炭鉱の課長級職員の月給は50万円

(500万円くらいか)だったそうですから、彼らがエネルギー産業を支えるエリートとして

扱われたことがよく分かります。

 

 

第二見学場周辺。

ここには、主力となった第二坑の坑口階段(無事に戻ってくるため、命の階段と

呼ばれたそう)の他、総合事務所、倉庫棟(煉瓦の廃墟)を備えた鉱業所の

中核部分でしたが、大部分が倒壊しています。

 

 

私も知らなかったのですが、軍艦島で世界遺産に認定されているのは、島全体

ではなく、この天川工法と呼ばれる方法で作られた明治期の護岸。

赤土と石灰を混ぜて石を積み上げただけのシンプルな構造ですが、160年を

経た現在も健在です。

 

 

最後の第三見学場。

会社事務所・総合事務所の側面を望む位置にあり、機械修理工場や鍛冶工場が

置かれていました。

そして、一番下写真正面に見えるのが、日本最古のコンクリート集合住宅とされる

1916年竣工の30号棟です。本来はこの先に、軍艦島の人々の生活空間が更に

広がっているのですが、この建物も倒壊の危険があり、見学コースはここまでに

限定されています。

いつか、南部商店街、端島銀座、潮降街といった生活空間も見学したいですね。

 

 

出航時刻が迫り、私たちはクルーズ船で軍艦島を後にしましたが、「世界遺産」

「世界一の人口密度」「閉山したそのままの姿の廃墟」「時代の最新技術を

注いだ海底炭鉱」といったキャッチフレーズのイメージばかり先行していましたので、

現地を見学したことは、とても感激しました。

 

 

今夜は長崎泊です・・・・。